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2018年5月 8日 (火)

タクティクス

このたびの国会の戦略には呆れる。

今までから多用されてきた、
野党による審議拒否であったが、
多用されすぎたからこそ誰も意味がわからなくなってしまったのではないか、
かなしいはなしだ。

そもそも、である。

そもそも、数で不利だし、
政権側が話を聞いてくれないから、
審議拒否をするというのは、
愚かな話だと思う。
なぜならば、
少数意見と、それに対する政府の反応を議事録に残しておくことで、
今後の法律の運用やら解釈やらに影響を与えることができるからである。

それとは違って、
今回だけは、
審議拒否しか方法がなかったケースじゃないのか。
なぜならば、
審議拒否に至った理由が、
これまで政権側が出してきた、
法の根拠となるデータが一部隠蔽されていたこと(働き方改革の件)、
国会における答弁が嘘だったこと(自衛隊の日報の件、モリカケの件)、
だったはずだからである。
民主主義的に議論する前提となるデータが嘘ばっかりだから、
ちゃんと全部開示してくれないと、議論ができません!
というのが、
審議拒否の理由なので、
18連休だとかわけのわからない与党の戯言に根負けして、
審議を再開するというのはどうもいただけない。
審議を再開したときに、審議のまな板に乗っているデータが、
すべて偽りない真実なんだ、
という保証はどこにあるのか。

そういう保証がないから信用できないので、
審議拒否だったら、
唯一無二の手段なんだけど、
そういうわけでもないらしい。

呆れて開いた口が塞がらない。

2017年8月26日 (土)

きみとのディスタンス

出会いそして別れ。

しばらく音信不通だったけど、
そして時はすぎ、君とまた出会った。

空はどこまでも青く小鳥達の戯れが聞こえた
絶対あなたでよかったと世界を塗り替えてしまった

赤い果実を見たら、
私のことを思い出して。
生意気なヤツだと思った。
君と僕との間に永遠は見えるのかな?

あなたと共に生きてゆく

あなたを想うだけで心が強くなれる

夏を待つセイルのように
君のことをずっとずっと思っているよ

約束だから海に来たって感じが
一緒にいるのにさびしいよ
瞳そらさないで
話そらさないで

もっと近くで君の横顔見ていたい
今日はゆっくり話そう。

君の近況をきいた僕は取り乱した
笑いながら泣いた
なんてばかなんだろう。

グロリアスマインド
思い切り泣いたら昨日までのことは全部忘れよう
シーサイドムーン
いつまでも変わらぬ心をもう一度君に届けたい

淡い雪が溶けて跡形もなく
二人の夢と約束と共に消えてゆく

君とのふれあい

でも実は、
ずっとかけがえのないもの、であることを信じていた。
i can't tell どうしようもなく好きだったんだ
愛していた
二人の未来がいつかつながっていたらいいね

wake up make the mornimg last
すべて変えて忘れがたき人へ

もう迷わない
それは暖かいあなたに出会うまでの試練。

ええなぁ、ZARD。

2017年3月11日 (土)

ZARDと私

ZARDのフィルムライブに行ってきた。
以下、ぜんぶネタバレ。

最初のほうの、
もう少し あと少し…
と、
かけがえのないもの(2番と大サビ)
と、
永遠
のコンボで、今年一番泣いた。

もう少し あと少し…は、
故郷が舞台の曲で、
思いでの神戸の街であなたへの手紙したためています
忘れようと何度もしたわ
そのほうが楽になれる
追伸:あなたの生まれた家を見てきました
なんだか切なくて懐かしかった

という2番が、
もともと好きだったのが、
最近余計に好きになってきて、
たまらない。
今までは、ここのPVは歌唱映像ではなかったのが、
実際歌ってる映像になると、
嬉しくて泣ける。

かけがえのないものは、
私が一番好きなラブソングだ。

absolutely invaluable love
これを、かけがえのないもの、かけがえのない愛、
と訳されたら、もう100点をあげるいがいにない。
実はライブのはじめ、
今日は、いろんな意味でかけがえのないものを聴きたいな、と思っていたので、
本当に流れると、信じられなくてぞくぞくした。

もしや、と思って調べてわかったことだが、
泉水さんが、37歳のときの曲だった。
私は来月、当時の泉水さんと同い年になる。
より心にグッときているのもわかる。

もっとも好きな歌詞は、ここだ。

かけがえのないもの それはあなたよ
こんなに距離が縮まってきたよ

そろそろね。

永遠は、言わずと知れた名曲中の名曲。
CanonのCMに使われていたのが好きでたまらなかったから、
思春期の潔癖なわたしには、
失楽園のテーマになったことが、
大切な、神聖なものを汚されたようで辛かったのを思い出す。

君と僕との間に 永遠は見えるのかな

今のわたしには、CanonのCMのころのこの曲のイメージしかない。

愛が見えない、はよかった。
白いジープのラングラー。
ジープで試乗してから、妙に気になっていた。
試乗したときには気づかなかったが、
この曲のPVで、泉水さんが乗っていたことに、はじめて気づいた。

マイフレンドは、PVが一番好きな曲だ。
赤いジャケットとブルージーンズで歩いている泉水さんが、ジャケットの下に着ているのが、
DKNYのシャツだ。
そのずっとあとの、プロポーズ大作戦で、長澤まさみがなんかしていたので、はじめて知ったつもりだったが、
こんなに前に、泉水さんが着ていた。
わたしの持っているネクタイやコートがDKNYなのは、
泉水さんや長澤の影響もあるかもしれないし、ないかもしれない。

わたしが今の仕事をしていて、
歌詞のすべてが、わたしの気持ちのとおりだとわかった、
その曲もながれた。
forever youは、歌詞の中のどの部分もわたしのことだと言える、
予言めいた曲だ。

何より大切な曲が、いくつも流れたあのライブのおもいでを、
本当に大切にしたい。

わたしは、かけがえのないものと永遠が流れたあと、
こころから思った。

泉水さん、ありがとう、と。

2017年2月 7日 (火)

半世紀

坂井泉水さんのbirthdayだったきのう。

きのうになったとき、
とても楽しかったんだけどなぁ。
そのおかげできのう、ほとんど楽しかったんだけどなぁ。

DON'T YOU SEE!
と大声で叫びたい。

2015年8月11日 (火)

序章 その①

すべては確かに運命である。

何も取り返しがつかないからこそ運命である。

必然は偶然の延長線上にあるのだろう。

何重にも絡まった糸がほつれてゆき、
たった一つ残った糸の先に必然の未来がある。
未来からみればそれは運命で、筋書き通りの世界で、
きっとそこには間違いなどなかった選択肢の連続しかない。
だから幸福な人は必然と呼ぶ。
それは生まれたときに定められた将来だったのだと。

いつかきっと思い出す世界、
それは、迷路のゴールからスタートへ向けて辿りゆく旅。
道に迷うこともなく、
ただただ美しいあの時代へ戻る道標。

道標の彼方、そこは甘美でも快感でもなければ、
ただただ毛布にくるまって眠るような、
安心する世界がそこにある。

気づいたら・・・

最近、少しだけアイドルと縁があり、

同窓の同級生が作曲をしたり、新幹線の後ろの席にそろって座っていたり、

どんなもんだ、とみると、
結構いい曲を歌っていたりするから、
人気があるのもうなずける。

それにしても、秋元さんの歌詞はすごいなぁ

ZARDさんの「悲しいほど貴方が好き」の
「気がついたら 恋しかった」とか、

乃木坂46の「気づいたら片想い」の
「気づいたら片想い いつの間にか好きだった」

というリリックが(最近御無沙汰なので)
すごく最近心にしみる。

いずれも、冒頭にその言葉が入ってくるので、
すっと引き込まれる。
そこがすごいなぁ。

2014年1月 1日 (水)

あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いします。

昨年はよくわからない年でした。
いろいろありすぎたような、走りまわったような。

ただただ今年は幸せな一歩上をめざしたい。

2013年5月10日 (金)

春の夜長の夢

夢の途中で目が覚める。
春を覚えないから、ごろりと大きく寝返りをうって、もう一度まどろむ。
そのまま、夢の続きに引き込まれる。

まるで胡蝶の夢のように、
寝返りをうったのが夢だったのか現だったのかすらわからない。

その夢で私は二十歳過ぎだった――

当時持っていなかったバイクに乗って大好きな仲間たちと海で遊んでいた。

そこで目が覚めた。
テレビをつけてまた眠る。

ひとしきりさわいでから
服を着て、
バイクに乗ってしばらく行くと、
あいつらが環を作っていた。

私が近づくと、
きたきた、と迎えてくれて、
バイクを円の真ん中に停める。

みんなは手に手に写真を持っていて、
そのころからそういうことをしてくれる彼が、
私にも集合写真を一枚と、何人かで写っている写真を二枚くれた。
ご丁寧にラミネートしてくれているのが、
今思えば夢の中らしい。

その写真をもらったとたん、
二度目の夢からさめた。

天津風吹き閉ぢず…

残酷な朝は、寝ているあいだにつけたのか、テレビから流れてくる場違いな誰かの声と共に訪れた。

私の大事な彼らの写真の入ったパソコンは、
もう使えなくなって何年もたった。
いつか引き出したいから捨てられないまま。

こんな出逢いは二度とないよね、
と笑いあったあの別れからもうすぐ10年を迎え、私は、
望んで選んだ場所にいるのに、
なにかがどこかでつっかえている。

新しいドアを開けるたび、一輪だけさいた季節外れの冬のひまわりのように、
あのころよりも頼りない。

でもまだ一人でやっていけそうな気がする

あ疲れぬ しばしも寝(いね)む 夢のうちに 見ゆれば逢ひぬ 見ずとも明けぬ

(本歌:小町集、奥のほそ道)

2013年2月 1日 (金)

一句。

みの年染井の里より白鷺の里へ行かんとして詠める

桜咲きて

のぼりし江戸を

たつ年の

そめいの花は

未だ芽吹かず

2013年1月 6日 (日)

AKB総選挙と衆議院議員総選挙 ~どっちが民主主義か?~

2012年のトピックスといえば、
恒例のように行われたAKB総選挙と、なぜか無理やりゴリ押しで行われた衆院選であった。

今回の衆院選が、非常にわけのわからない危なっかしいものであることはまた後日述べるとして、

どちらのほうが民主主義なんだろう、というと、これは難しい。

民主主義は、市民の多数派の意見が優先される、というだけのものではない。
客観的に正解がわからないという事項について、できるかぎり多くの意見を戦わせて洗練させて、
そのうえで合意(妥協)できないことについて多数派の意見を優先させようというものである。

結局今回の衆院選で、国民の「信」という名の多数決を必要としたのはなんだったのか。
というと、何もない。

目的もなく、なぜか「民主党政権はこのまま続けてよいのかどうか」というわけのわからない、
国民の意見は客観的に明らかであるが、それ以上でもそれ以下でもない、
いわば「どうでもいい」としか言いようのない議題のために、
私たち国民は2週間に及ぶ騒音と貼り紙の中で、見目麗しくもないよく知らない人たちの顔を見せられてきたのである。

大上段に振りかぶった「憲法改正」というものが、どれだけ意味のあることかを考えもせず、
「財政の健全化」とか「外交」とか、とくに政権を変えようが変えまいがあまり方針の変わらないものについて躍起になって、
結局なにがしたかったのかがわからない。

とりあえず、「誰かを追い出す」ためだけの選挙であるならば、
それは扇動政治体制であって民主主義ではなく、
何も考えていない市民を煽り立てて適当なことをするだけの政治であるならば、
もはや衆愚政治としか言いようがない。

このような状況で、この国の舵を切らなければならない、
現在の30代や40代の人々は、
わが子達の無邪気な顔を見て、
この子達に胸をはって、住みよい世界を引き継げるのかに、
疑問を抱いたり不安になったりしないのだろうか。

芥川龍之介が生まれたての子供に言った
かわいそうに、どうしてこんな娑婆苦に満ちた世界に
という無力感に包まれた言葉と同じような心境を感じろというわけではなく、
せめて、前向きに動かなければ。

少しそれがちになったが、結局もって今回の衆院選は、民主主義ではない。

この傾向は、郵政選挙のときには明確にあらわれていたが、
いよいよもって顕著になってきており、もはや同情の余地もない。

さて、ではAKBの総選挙は民主主義なのだろうか。
単純な人気投票であれば、「タレント議員」がいっぱい当選していた昭和末期から平成前期のこの国の「民主主義」的な総選挙と同じなので、まさしく民主主義ということになるが、
これではあまりに皮肉っぽいので、別の観点から考える。

まず、投票者が誰であるか、という点。
民主主義的な選挙というと、普通選挙、平等選挙、直接選挙、秘密選挙であると言われる。
これは、AKBのファンが1人1票ということはなく、CDやら何やらを買った分だけ投票権が与えられるというものだから、普通選挙であるかには多少疑問は残るものの、
直接選挙であり、誰に投票するかの秘密は守られているから秘密選挙である。
また、1つの選挙権ごとの1票の価値は同じだから、平等選挙である。

ただ普選か否かについては、事実上投票権を買う財力によって、選挙結果が左右されるという問題がある。
投票権を買うこと=国政でいえば税金を払うこと、によって投票権の数が変わることになるという点、投票権の値段が、一律でない点に問題があるが、
AKB側としては、ファンクラブの会員であるか、CDを何枚買ったかではなく、各投票権を一律に扱っているので、
対象をAKBのファンひとりひとりではなく、CDやらなんやらの「持ち主」ということにすると、それが偶然同じ人だったからといって、普通選挙でないとまでは言い切れない。
国政でいうと、CDを100枚持っている人は、地元の名士かもしれないし、大規模政党かもしれないし、その政党の裏にいる宗教団体かもしれない。
宗教団体が、特定の政治家を応援するパーティーにお金をかけ、そこに信者があつまったからといって普通選挙でなくなるということはないので、
そうすると、それと平衡にかんがえて、
ひとりのオタクが、大島優子さんをトップにするためにCDをいっぱい買って、そこでCDをたくさん持って投票に行ったって、普通選挙でなくなることはないということになる。

少し詭弁だが。

すると、AKB総選挙は実に民主主義的な構造の選挙だということになる。

さらに。議題は、というと、
次のCDで歌う人を決める、という客観的な答えのないものである。
大島優子ファンと高橋みなみファンが、どちらがどちらだ、と言い争っても妥協などできるはずがないから、
妥協点を多数決に見出すのは、きわめて自然な手段である。

そうすると、こちらは、どこかの国の衆院選と違って、
限りなく民主主義的な選挙だったということになる。

だから、あえて、
今国会はAKB以下、ということがいえる。
(国政にそれなりに関心のある人はAKBを下に見る傾向にあるので、屈辱的に聞こえるかもしれないが、AKBをそれなりに称えている立場からは事実を述べたにすぎないのでというように聞こえるかもしれない。
しかし、司法権に関わる人間として、「今」国会というところに、可塑性と一抹の期待をにおわせていることと、国会の価値とAKBの価値は、それこそ比較不能であることを十分に分かったうえでの発言であることを注意されたい)

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