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2009年1月31日 (土)

ハマー・ザ・G

前の冬に買ったダウンジャケット。

フードがジャマなので、
今シーズンは、おもいきってはずしてみたら、

マフラーをまけるようになった。

ジーンズにそれらを身につけた私、

人前にでる仕事だから、最近は寝癖をおさえているので、
頭のシルエットは丸い。

ふと、出先のトイレで気付いた。

これって…

ハマーさんのコスプレじゃない!?

見るからに楽しくなさそうな自分の顔が、
より情けなく思えてきた…

いたよ、リアルハマー…

きっと性格だけは真逆だYOネ…

い、いかん、言葉(リリック)が…

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前を向いて…

ケーブルで、ドラゴンボールをやっていた。
グレートサイヤマンのあたりだ。
ほのぼのと、ドラゴンボールはやっぱりおもしろい。

やっぱりベジータが一番好きだ。
悟空やピッコロもいいけど、やっぱりベジータだ。

そういえば、好きなキャラクターって、
みんなどことなく何か似ている。

冴羽りょう、ゾロ、ベジータ、ロビンマスク…

なんかねぇ。
もっこりとか方向音痴とかは関係ないみたいだ。

まあよく道には迷うんだけれど…
他人の、んなところに憧れるかってんだぁね。

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2009年1月30日 (金)

夜更けのたわごと

が(1)「なんか今日ねむない?」
が(2)「今日は仕事大変だったからじゃね?」
が(3)「1時まわっとうからやろ」
が(4)「でもさー、夕食後4時間は、寝たら太るっていわねぇ?」
が(5)「どうせ寝っころがっとったら同じちゃうん」

以上、たこ焼き戦隊炊飯ジャーの会話をリアルタイムでお伝えしました。
おもしろくもなんともない。

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2009年1月28日 (水)

旅はまだ終わらない

こないだ受けた試験の結果がかえってきた。

まともに合格したの、何年ぶり?

さ、まだまだ続きます。

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2009年1月27日 (火)

江東事件

先日結審した。
遺体を下水に流すという、おぞましい事件だ。

公判では、裁判員法廷でモニター等を使ったおおがかりな主張が行われた。

が。

ほんとにそれでいいのか、疑問の残る内容であったように思われる。

まず、前提として、
国民の司法参加のための裁判員制度と、
被害者の裁判参加は
同時期に導入されただけの別の制度である。
しかし、同時に行われる以上、相互の関係を無視してはならない。

その上で検討する。

まず、
刑事訴訟は、消極的実体的真実発見のためのものである。
つまり、被告人として呼ばれた者が本当に犯人なのか、犯人だとした場合、何をしたのか、を
検察官と弁護人被告人の主張を聴きながら判断する場である。
その結果、犯人とされた者がしたことに応じた刑罰が下される。
だから、事実の発見と量刑は別である。

裁判官および裁判員は、まず事実を発見しなくてはならない。

江東事件の場合、被告人が犯人だということは、
証拠上明らかだし、隣人の女性を殺害したことも明らかである。
その後、死体を損壊(傷つけ)し、遺棄した(埋葬せずにすてた)ことまで、明らかにしやすい事案であった。

そこで、被告人が何をしたのかを具体的に証明するべく、
モニターをつかったのまではよいが、
被害者の遺体の一部をモニターにうつしだす必要などあったのだろうか。
たしかに、遺体は、事件があったことを証する、もっとも有効かつ適切な証拠である。
そして、検察官は、遺族の了承は得たと述べる。
しかし、遺族にとっては愛娘の一部とそんなところで対面することは、地獄に等しいのではないか。
そして、今回は犯人性と犯罪性に異論のない事件だからよいとして、
被告人が犯人なのかに争いのある事件だと、
それだけで善良な裁判員は被告人に対して怒りと殺意を感じるだろう。

つまり、こうだ。
被告人が被害者を殺害したことは事実だ。
どのようにしたのかも明らかにする必要がある事実である。
しかし、全部が全部モニターに映し出せばいいというものではない。
証拠として写真を提出し、見てもらえばよいだけのことで、
目を背けることもできないような巨大モニターにうつしだす必要はないし、
しかもそこには肉親がいるのだ。

法廷をR指定の映画館にすべきでない。

また、事実認定と量刑は切り離すべきである。
遺体の一部がモニターにうつしだされて、被告人がうつむくのを見、遺族の嗚咽を聞けば、
それだけで被告人を死刑にしよう、という結論ができあがる。
事実がどうだったかなどという「些末な」ことはおいておき、
「たぶん」警察がちゃんと捜査しているだろうから…
と、弁護人側の意見を完全無視した上での筋書き作りがはじまりはしないか。

たとえば、裁判官や裁判員のところに、写真が1枚まわってきただけならば、
被害者の遺体があることさえ伝われば、極端な話、裁判員は見ないこともできる。
その内容に怒りを感じることはあっても、
被告人の反応も遺族の反応も見ないですむ。
その結果、冷静な判断による事実認定が担保される。
なお、そういった反応は量刑段階で見ればよいことなのである。
被告人質問のさいに被告人に写真を見せる、遺族には口頭で話をきく、
ということで十分に生々しい反応・意見は得られるのである。
それを見ながら、確信をもって犯人だと言える被告人に対する刑罰を考えるのが、
公平な裁判所なのではないか。

なお、被害者参加制度もこの延長線上に考えなければならない。
被害者自身が法廷に出られるときは、事実認定のうえで最有力の証人である。
しかし現場にいあわせなかった被害者の肉親は、
ある程度以上は事実を知らないはずである。
だから犯罪事実の認定、とくに被告人が犯人なのかの判断のさいは、ひとまず検察官に任せておいて、事実がどうであったのかを知る場にしておき、不足があれば補うというのが、
刑事司法上求められるのではないか。
反面、量刑判断や付帯した損害賠償請求の場では、被害者側の人たちを中心とした訴訟運営が求められる。

今回、担当弁護人は、
検察官も被害者遺族も被告人も死刑を望んでいるからと、死刑判決をかくべきでない、
と、無期懲役を求め、
検察官の芝居がかった訴訟活動に対しては、裁判所の冷静な判断を求めた。

この事件はどう考えても死刑相当だが、
弁護人が無期懲役を求めたのは、
新しい刑事訴訟に対する警笛ではないだろうか。
弁護士と検察官のプレゼン合戦となれば、
組織力、予算の面で有利な、しかも刑事事件ばかりしている経験豊富な検察官の独壇場となろう。

ただでさえ、素人の裁判員が数を占める中で、
感情に流されやすい判断がたくさん出ることが危惧されているのに、
よりそれをあおるようなプレゼンをさせるのはまずい。

モニターなどの機器はなるべく必要最小限の利用にとどめ、
冷静で公正な裁判所における、
被害者の心情に配慮した訴訟活動が求められる。

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2009年1月26日 (月)

予想するぜ

いつかアメリカの大統領に、サレンバーガー機長がなるような気がする。

麻生は、(総裁選前からまわりに言ってたけど)任期満了まで解散する気ないと思う。

なんか、予想するの飽きた。

ワンズとかティーボランとか、(アルファベットうちたくねぇ…)
古めの曲ばっかり聴いていたら、
とんと新しいのについていけなくなった。

それでもジェロとか羞恥心とか愛のままで…とかは知ってるけれど…

マイブームは、平原綾香の
ノクターンだ。カンパニュラの恋、も好きやなあ、と思っていたけど、
最近まで、同じ曲だときづかなかった。

いきものがかりのブルーバードも好き。

あ、さらば青春の影よ、と、蜃気楼(森)を聴いた。
坂井泉水&大野愛果の曲を、
あそこまで演歌にできるとは、
さすがは森進一。
レコ大と紅白で川内さんの曲を歌ったのはあまりに失礼だし許せない
(息子も息子だ)が、
とくに歌さえなければZARD(アルファベットうっちゃった)サウンドの蜃気楼を
森サウンドにしてしまうあたり、
ベテラン歌手はやっぱりすげぇ(でももう聴きたくない)
さらば青春の影よ、はジェロが歌ったのをぜひ聴いてみたい。
蜃気楼は坂井版が出ないかな。
ちなみに、著作権法上、おふくろさんに関する権利は相続で遺族のものになってるから、
紅白は、法的には問題ないのだと思うが、
およそ、人の心が垣間見えない、こんな法律はだめだ。

たとえば、外国で独り暮らしの日本人が、
故郷を懐かしんでYouTubeで日本の番組を見たい、
と思っても、
公衆送信権、複製権を侵害して著作権侵害罪になる。

ふざけてる。

中山先生(著作権の第一人者)は、
こんな規制はやめるべきだ、と仰るが、その通りだ。

ほかにも、買ったCDをテープやCDに録音して、誰かにあげると
複製権侵害。
おまけにあの読みにくい条文。
小早川先生か神田先生が昔、最近の法律は読みにくい。
明治憲法を見習うべきだ、
と仰ってたけど、まったくだ。

あんなの日本語としてどうかしている。
そんな立法をしながら、
小学校から英語を!
なんて、自分が日本語できてないのにそんなこと言われても説得力ない。
そんな条文を読みつつ、法律答案の感想は、
だいたい一つの文章で、言いたいことは一つにしましょう。
感想の中に、感想を述べる人の、普段目にしている条文に対する怒りや哀しみを感じる。
それでも、自分の論文が、少なくとも会社法や無体財産権法よりは
読みやすいという、根拠のない自信がある。

で、なんの話だっけ。

あ、こないだ友達と肉を焼きながら、
最近のテレビは、という話になって、
たいして「この娘のファンです!」
という気持ちになるような人いないなー、と一致した話だ。

しばらくその後考えたが、なかなかどうして偏っている。

最近、ドラマに出てたら、絶対そのドラマを見たくなる、という意味で一番好きな女優は?
…蔡貞安
最近、スポーツ中継に出てたら、しばらく見ながら応援してるなあ、という女性選手は?
…悲恋。中野友加里と浅田真央

さあ、たぶん多くの人は半分しかわかるまい…

そもそも最近テレビでよく見るのも、
ZEROとすぽると!とそこまで言って委員会、だから
ほぼそれらに出てる人しか見てない。

ニュースは見てるのに、
世間にどんどん取り残されていってる気がする…

久しぶりやのに…
もうわけわからへん。

わざとですが。
お付き合いありがとうございます。

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2009年1月21日 (水)

ユーグレナ・ピュア

ショップチャンネルで見た。

ミドリムシちゃうんか??

植物と動物両方の栄養を摂れるらしい。

ミドリムシやもん、当然やわなぁ…

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2009年1月17日 (土)

神戸の日

神戸の日に、故郷の街にいるのは10年ぶり。

何年も通い続けたホームからの景色は、こわいくらいに変わっていない。

築14年の家々のまわりに、垣間見える、あいも変わらぬ家々。

この落ち着きようは、他のどんな街にもない。

駅前のスーパーに入る。
ぶらぶらと、そう久しぶりでもない店の中、
お菓子売り場のケースに、長澤まさみの写真がついていた。

と、なぜか、甘酸っぱい記憶がよみがえった。
すっかり忘れていた日々。長澤まさみは関係ないのに。

毎日のように歩いた道。
ヤマザキパンのシールの台紙。
今こんなことをしているなんて、考えもしなかった。

神戸を去った日。
不安と希望の入り交じるプラットホーム。
荷物持ちをしてくれた弟。
父、母。

あと何年かしたら、きっと帰ってくると思った街並。
毎日のように立ち寄ったセブンイレブン。
一番最初のお客は私だった。

原点。

私は、この旅の中で、原点を見失っていたのかもしれない。
通った予備校、高校、小学校、塾…

すべてを元に戻して、
次の私につなげないと…

窓をあけると焼肉の匂いがする居酒屋。
坂の上の本屋さん。
ようもないのに入ったビデオ屋さん。
メロンパンのあおのり。
1人2つまでのビックリマンチョコ。
中止になったキャンプ。
ラジオ関西。発表会…

そこは私の街だった。
そこには私の街がある。

いつかきっと、帰ろう…
その前に、やらなくちゃならないことがまだ山ほどある。
今でもそこに住んでいる、こどものままの私に満足気な顔を見せるために。

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東大紛争

東大落城、という本を見つけたのは、大学をあがるころの話。
こないだ、同名のドラマを見た。

当時の総長代行、加藤一郎先生がなくなったと新聞で見たのが昨年末だし、
無関係ではあるまい。

私は、当時の大学にいたら、どっちにいただろう…

工学部列品館前の、法学研究棟の前で、
涙したという丸山眞男先生。
選択していたゼミのタイトルが同じなら、きっと直接教えをこう機会がまったくないわけでもなかったはずだと思うから、
そんな人を目の前にして、
安講や、ましてや法研にたてこもったりできない。
でも、友達みんなが戦っているのに、
自分だけ家でテレビ見てたりできるだろか…

性格上、世の波にはのまれてないと思う。
まだ、時じゃない、と思って動かないとは思う。

星野英一先生の言葉、
答えを丸暗記するのでなく、自分で考えろ、と、
それを反芻すると、

あの大学が戦争と何の関係があるのか、
一番大きい像の濱尾新先生は、桂太郎から大学の自治を守り、
ある国際法学者は、太平洋戦争中アメリカ法の講義レジュメを変えず、
今でもマル経を研究しているような大学で、

なんで戦うのか、考えている間にたぶん、
全部終わっていたんじゃないだろうか…

それは言い訳になるのか…
それとも、体制側の人間だと言われるのか…

いちリベラリストてして、
自由(リベラル)に考えて行動を決めることは、
決して自由でない。
どちらに転んでも、かけがえのない友達や師との縁が切れる。

勉強したいだけなのに、
なぜこんなに苦しまなくちゃならないのか…
悩みながら涙するしかないのか…


私は昭和の終わりごろに生まれた。
バブルが元気に膨らんでゆくころだった。

予備校のころ、
ある恩師は、
大学紛争のせいで、予備校文化が花開いた、と言っていた。
そうすると、私はその最後くらいは経験できたのだろうか…

大学院のころ、京都のOBが、この大学は大人しすぎる、と言っていた。
私は、駒場みたいなとこだな、と思ってはいたが、
駒寮闘争みたいなものは起きようはずもない、
高校の上のような雰囲気があった。

今の大学生に、世の理不尽に対して怒りを感じて、
動きだすような気骨はない。
なにかあれば、教授会が目をつけて…

だからどう、とは言わないが、
きっと、たてこもったり戦ったりした人から見たら、
頼りなく見えるのでしょう…

だから、決心できないだけなのでしょうか…

でも、自分の大学に、
催涙ガスがまかれたり、
本がふみしだかれたり、
壊されていくのを見るのは哀しい。
たとえ自分とは関係ない40年前の映像であっても。

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2009年1月 9日 (金)

岸信介君に与える

60年安保のころ、
強行採決等を繰り返そうとした当時の岸総理に、
一高・東京帝大以来の親友、
我妻榮教授が宛てた手記で、
朝日新聞に掲載された。

岸内閣が退陣したのは、その後しばらくしたころだった。


誰か、そういう人はいないのだろうか…

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2009年1月 7日 (水)

かぶき者

かぶき者
どこかの芸人にはない
魅力があったのでしょう

出雲の阿国前でございます。

今年は丑年だけあって、
北野の菅公のまわりの牛たちも、どこか元気に見えました。

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弥次喜多道中

弥次喜多道中
都へ来るなら、
体調万全なときに限りますな。
腹いてぇ。

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2009年1月 5日 (月)

しごとはじめ

いきなり。

通り道にあるイベント会場にて。

ビンゴゲームという字が、
一瞬コンドームに見えた。
しかも複数回。

なんか悪いことしたかい…


ジェロええなあ、
と打とうとしたら、
予測変換で、
ジャン=レオン・ジェローム
と出た。
きっと打つ機会なさそうなので、
記念に一度打ってみた。

♪あなたを追って出雲崎
悲しみの日本海
愛を見失い岸壁の上
落ちる涙は積もることのない
まるで海雪♪

ジェロの歌がええ。

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2009年1月 1日 (木)

平成21年

ぼくらの年です

平成12年
これが何を意味するかはきっと誰にもわからないのだろうけれど、
すべての因縁を断ち切り、ぼくがこの先の道を歩むためには、
今年を駆け抜けるしかないのでしょう

21組☆COL☆がっちゃん


追伸:あけましておめでとうございます
皆々様におかれましては、本年が至上の一年となりますよう、
深くお祈りいたします
またなお、本サイトを、何卒宜しくお願いいたしまして、
新年のご挨拶に代えさせていただきとう存じます

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