2009年8月25日 (火)

最高裁裁判官には労働省枠があるようだ

昨年、社保庁の元長官が、最高裁裁判官を退官したが、
その後、後任として任官したのが、
現厚労省の元女性局長だ。
(女性の局長ですが、ここでは女性局の長という意味)

公平たるべき裁判官だが、
同じ行政機関(しかも問題が多い=裁判件数も多かろう)のOB(OG)が続けて任官している事実がある。

彼女が最高裁裁判官にふさわしいか、
それも30日の選挙で問われる。

この裁判員裁判時代。
内閣の任命する裁判官が、司法最後の砦としてふさわしいかを判断するのも国民の仕事。
最高裁判所裁判官国民審査にも、
注目していただきたい。

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2009年7月 2日 (木)

「乱・禍・死」の乱に終止符を!

小泉という人はまだよくやってはいたが・・・

安倍おさまれど、乱れ倍なり。
福田つぎて、禍の田にたねをまき。
麻生つぎて、麻をきて死ねよとか。

乱禍死時代は、もうたくさんだ。

縁起がよいのは総理大臣の名前だけ。

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2009年6月 1日 (月)

ブレてな〜い

かのように。

Yさんは、
「一貫してブレているという意味でブレてない」
と笑っていたが、

彼の人は…なんというか…

ドラえもん―こち亀―サザエさん―まるちゃん型だと思われる。
乱太郎でもしんちゃんでもなんでもいいが、

コナンのレベルではない。

対するのが、一般人、つまり、
ドラゴンボール―ワンピース型だ。

意味を説明しよう。

彼の人は、
「22世紀からやってきたネコ型ロボット」
「亀有公園前派出所のダメおまわり」
という設定だけは維持しているわけである。
「経済してから総選挙」である。

その他の点は、
見るたびにかわるから、
そういうものとして楽しむしかない。
いや、楽しまなきゃ損だ。

決して、スーパーサイヤ人化したり、するためにがんばったり、
海賊王になったりするような、
一貫したストーリーを描く我々一般人とはレベルが違うのである。

赤ちゃん語のように、我々が付き合ってあげないと、
成長しないし、
諦めもつかない。

ちなみにこの分類は、
著作権の時効の開始時期をあらわす、
継続的著作物(ドラえもん)と逐次公表型刊行物(ワンピース)の区別だけれど、
マンガ好きの彼の人の評価にはちょうどよかろ。

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2009年5月28日 (木)

潔癖大国の末路 その①

昔、こんな映画があった。

時は、未来のアメリカ。
あるストイックな神父(牧師?)の下に統率されたアメリカは、
すべてが、「正しいこと」「美しいこと」しか許されない・・・
そんなため、「人間らしい」-酒も飲む、煙草も吹かす-ような人は、文字通りアンダーグラウンドで、地下生活を送っていた。

んな国あるかい、と思って笑っていたら、
笑えなかった、こんなところにあった、その名もニホン。

いったん、インフルエンザが広がった、となったら、
神戸から帰ってきた修学旅行生を、自宅謹慎させたり、
そうでなくとも似たようなことをしたりする北九州みたいな街もあれば、
ちょっとお酒を飲んで裸になっただけで、1ヶ月も謹慎するような社会。
総務大臣にいたっては、一中年男性に、「最低の人間だ」もとい「最低の所業だ」

ばかばかしい。

別に、SMAPをかばうつもりは毛頭ないし義理もない。
北九州には神戸出身者として苛立ちを感じるが、兵庫県民を保護するつもりもないが、
関西から帰った学生は謹慎させて、関西から帰ったサラリーマンは放置することに、何の違和感もないのか。
テッテイという言葉すら知らない。
厚労省と密に連絡を取るべき、というより、採っている最中に、突然連絡の通じなくなる横浜市のような、面白い例もあるが、話がそれすぎる。携帯使え。

やることがイチイチ大袈裟すぎる。

牧野博士が、こんなおもしろい話をされている。昭和32年ごろ。
「スカンダール」があれば、必要以上に制裁が加えられる・・・(刑法総論上巻・1958)

この国はなんにも変わっちゃいない。

「スカンダール」は、いうまでもなく、「スキャンダル」だ。
スキャンダルが大好きで、重箱の隅からほじりだしては血祭りにあげるのが趣味のニホンジン。
おおらかなニッポンジンの心意気はどこへ行ったんだ!!
なんて言うのもばかばかしい。
そんなもの最初からあったのか??

別に祖先を冒涜するわけではないが、
近頃都に流行るもの 夜討強盗偽綸旨・・・
きつけぬ冠上のきぬ 持もならぬ(慣れていない)杓持ちて 内裏ましわり珍しや
(二条河原の落書より。後醍醐天皇のころ、今の京都は平安京二条河原にあった落書)
とは、これ、だれのことやら。
威厳も貫禄もない総理大臣に聞けばわかるだろうか。
それとも、先立つ衆院選で最年少当選遊ばされた先生なら教えてくれるだろうか。

この700年でも何かかわったか??

「スカンダール」で、立場を失った人と言えば、
かつて花山天皇(当時の呼びかただと花山院)が夜這いするのを見て、
それが自分の恋人の姉妹目当てだったのに、自分の恋人のところだと勘違いして、
弓を撃って、大宰府に追放された藤原一族がいたように思う(大鏡より)

そうだとすれば、1000年だ。源氏物語(1000年=数年前にやっていましたなあ)より古いわ。

スキャンダルが大好きなわりに、真実だけは意地でも見ない。
見えないのか、単に見てみぬふりができるのか。
おほやけののたまふことはすべてただしきことなれば、うたがふことも失礼なるのか。

福澤先生が、まず学問のすすめで説いたのは、
社会契約説だ。
国は、権力を持っているんじゃなくて、国の権力は、我々が与えているだけのものだ、と。
封建の世は、「ご恩」というなんだかよくわからない不可侵条約(これは私の意見)で、
「本領安堵」され、その代わりに滅私奉公する、という風土があったが、
がんばって奉公すればするほど、詰め腹を切らされる人が増えるだけ。
それはなぜかというと、偉い人は潔癖だから、間違ったことなどするはずがないからだ。
あほくさい。
そうやって詰め腹を切らされてきた人は、ことごとくみな(悉皆)、潔癖な滅私奉公人だ。
公儀は、大名の自由を一方的に奪える。大名は家臣の自由を一方的に奪える(が、自分に自由はない)。
家臣は足軽の自由を一方的に奪える(が、自分に自由はない)。
足軽は町人の生存権を奪える(切捨御免)(が、自分に自由はない)。

国は偉いのではなく、国民と国は同格か、国民は国以上なのだが、
いまいち、維新150年を迎えようとするこの国では、この考え方は定着する見込みがない。
150年が短いのか。
150年くらいでは、染み付いた日の丸万歳・スキャンダルラブの気質が抜けきれないのか。

小沢代表のこともそう。
西松建設が何をしようが知ったこっちゃないが、
清も汚も併せ持つのが人間だ、というのが、なかなか理解できないように思える。
何らかの「スカンダール」を引き起こせば、いや、
引き起こす必要なんかない。あら捜しをして見つけ出せば、
それだけで、
この国では、血祭りへの(マスコミのカメラのフラッシュとレフ版の光の)輝かしい道が開けるのだ。

なんてすばらしい世界なんでしょう。

このすばらしい国を愛せ(「愛国心」少し前の内閣の標語)!
なんて言われても、素直に愛せない。

いや、愛するからこそ、そんな歯の浮くようなセリフが出てくる、
それも平気で言えるような人たちが許せない。

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2009年4月 4日 (土)

フォン・ブラウン

フォン・ブラウンは、
素晴らしい科学者の一人だ。
最も輝かしいものを完成させ、
最も憎むべきものを完成させた人。

ナチスドイツの将校として、Vー2ロケットを完成させ、
(ナチスはそれでロンドンを空爆)
アメリカに亡命してからは、サターンVロケットを完成させ、アポロ11号を生み出した。

彼は一貫して月ロケットを作りたかっただけだという。

そもそも空へ行きたいという夢から、ロケットが生み出され、
その開発には膨大な金が必要だから、軍に利用され、
(軍事目的でしか出資してくれないから)
ついに月に到着したのが人類だ。

ロケットが、何を運ぶか、
ミサイルに使われるか、人が乗るか、無人衛星がつまれるか
はすべて、出資者のさじ加減だ。

ロケットの平和的利用か軍事目的利用か、
そんな区別をしているのは日本だけだ、というが、
実は、出資者のさじ加減次第なのだ。

打ち上がった物体の描く、大きな放物線。
その落下角度が丸い地球のカーブにあえば、
その物体は、永遠に落ち続ける衛星となる。

それだけの技術がありながら、
中途半端にしか飛ばないものを作るのはおろかだ。

そんな、月へ行きたい、という
人の夢の結晶を他人にぶつけて、
他人の夢を奪い取って、月へ行こうとする純粋な気持ちまでふみにじって、
そんなことして、何が楽しいのか。

フォン・ブラウンは、Vー2がロンドンに着弾したとき、
ロケットは正常に作動したが、着陸する惑星を間違えた、
と言ったそうだ。

2度以上同じ間違いをするのは、
しかも、誰かのした明らかな防ぎうる間違いを繰り返すのは、
愚の骨頂だ。

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2008年11月28日 (金)

危険な賭け

真意が伝わるものかどうか。
このことに関しては、決して、私は誰の意見にもくみさない。
彼が正しいとも思わないし、政府見解がすべてだとも思わない。

ある総理大臣経験者の言葉を知った。
奇跡的な出会いだった。
彼は、今のどんな総理大臣よりも明晰な頭脳と表現力を持っていた。

ただひとつ、惜しむらくは、彼が民主主義とは相容れない時代に生まれたことか。

ニッポンをニホンと呼び出した頃のこと。

「わたくしは日本の戦いは正義に立脚していたと固く信じている。
アメリカはこうした見解に同意しないと思うが、しかし、アメリカの戦いが正義の戦いであったか、それとも日本の戦いが正義の戦いであったか、
という最後の判定を下すには、時の経過と、公正な第三者を待たねばならない、と信じている」

彼は、そういった。

私は、それだけの時が未だ経過していないと思う。
もしくは、時の経過により、冷静なる第三者として、あらゆるしがらみから解き放たれて判断を下すのは、
私たちの世代には無理だと信じる。

彼は、「こんどの戦争に責任があった」。しかし、だからといって彼は「戦犯であるということにはならないと信ずる」
「自国が正しいと信じている国家の戦争指導をおこなうことと、戦犯であることとは別問題である」
「しかしこれまた、戦勝国の決定することである」

彼が残した言葉はこうだ。
「真の軍人は、戦場では、最後まで戦うものである」
「平和が宣せられたら戦争は終わる。
一生懸命フェアに戦った相手をお互いに尊敬するのである。」

なんともスポーツマンらしいノーサイドの精神ではないか。
相手を尊敬することと、
自分を卑下することは、
まったく異なる。
自分に自尊心あればこそ、
敬意によって相手が浮き立つのである。
それによってはじめて対等になるのではないか?

彼は、開戦の責任はだれにあるのか、と問われて、
こういった。

「諸君は勝利者であり、したがっていまは諸君がその責任者を名指すことができる。
しかしこれから五百年、千年をへたとき、歴史家は違った判定をくだすかもしれない」


今の日本人に欠けているもの…

それは自分を大切に思うこと、自尊心。
あるいは、自分を大切に思いすぎること、過剰愛。
どちらかの人しかいないから、一億総アイデンティティー・クライシスに陥っている。

自分を卑下して相手に盲従するか、
自分を愛しすぎて周りすべてに壁を作るか。

日本人の最も得意だった、
中庸…どっち付かずは、そこにはない。

彼は、割り切ることを知っていた。
自我があった。
しかし、自分を過剰に評価することはなかった。
そして、他者を正当に評価していた。

戦争をどう評価しようが、それはどうでもいいこと…
人によって、違うことでしょう。

戦争を繰り返してはいけない、
それだけは受け継がなければならないが、
その理由は、
人の愛を、夢を、家族を、かけがえのないものを、
みんな奪ってしまうから。

だから戦争は悪だと思うならそれでもいいし、
やはり正だという人がいても、とがめるに値しない。

ただ、今度の戦争を評価するときに、
日本人や日本の政府が、
率先して
当時の日本の意見を無視してどうするのか。

彼を戦犯だと決めたのは戦勝国であって、
転んでいたら戦犯だった人なのである。
たとえば、
真珠湾攻撃が人道に対する罪ならば、
原爆投下が人道に対する罪にならないわけがない。
ポツダム宣言で、その点についての
「責任追及」はしないことになったが、
決して「責任そのもの」が消えたわけではない。

日本人が戦犯戦犯といっては、彼を忌み嫌うようなことをするのは、
戦勝国の意見にしか耳を傾けないから。
自分を見失ったままだから。

結局、自分がないからそんなことしかできないのだ。
自分があれは、彼を戦犯といって忌み嫌う人ばかりでなく、肯定的に評価する人も生まれうるし、
両方いることをだれもが受け入れるはずだ。

空自の前幕僚長の意見は、
ひとつの意見であって、
正しくもないし間違ってもいない。
雇用者の国の意見と違うから、分限処分になったのはよいとして、
シビリアンコントロールという言葉を意味もわからず振り回して、
懲戒すべきだ、論文は検閲すべきだ、などという、
今の総理―そして彼は最も許しがたい内容の失言が多い―や、森永さんをはじめとするコメンテーターには、
辟易する。

彼の名前をあげなかったのは、
彼の名前を知った瞬間、
読者は、やれ右翼だの、やれ戦犯擁護をする気かだの、
彼の言葉に耳を傾けようとしないに決まっているからだ。

わたしはとくに左右に興味はない…
あえていえば、(民主主義以前の)開国派だ。
戦争の責任者を養護する気なんか毛頭ない。

そして彼は、べつに貝になりたいと言った床屋のおやじではない。
彼の名前は、だれもが知っている…

東絛英機

それが、
当時(終戦直後)、アメリカのメディアに、
ジンギスカン以来の最も輝かしい成功をおさめたアジアの軍司令官
と言わしめた、
明晰な頭脳と表現力を持っていた総理大臣の名前である。

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2008年11月11日 (火)

井の中の蛙大海を知らず

井戸のあほ…

我らが兵庫県知事が、
東京一局集中の問題にふれて、
「関東大震災がおきればチャンス」
と言ったとニュースで読んだ。

少なくとも兵庫県知事の言うことではない。
広島長崎市長が、核兵器使用について肯定発言をしているのと同じレベルだ。

井戸知事が、近畿の一県知事として、
国家の中枢を一部でもこちらにもらいたい、という、
そんな気持ちはわからないでもないが、

だからといって、
のどもとを過ぎて熱さを忘れたかのように、
他人のところに地震が起きたらチャンスだなんて言うものではないだろうに…

どんなことが起きたって、
ありえない場所に中枢が移るわけがない。
今はまだ静かに力を蓄えておかなければならない。

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2008年11月 6日 (木)

侵略だってさ

タモガミ空自前幕僚長の事件。

日本は侵略国家じゃなかった、と言いたかったそうだ。
が、それは表現の自由というものでは。
いろいろと騒ぎ立てたい気持ち、空自の幕僚長としてどうなんだという気持ち、
そういうものもわからないでもないが、
こんなあからさまな言論の抑圧は、どう考えても問題がある。

まず、幕僚長たるからには、彼は公務員である。
公務員である以上、政治活動をしてはならない、などの制限はある。
それは、公務員に対する信頼を確保するための、必要不可欠な手段だから、
制限されてもやむをえない。
それでは、表現の自由はどうなるか。
表現の自由は、民主政の過程を運営していくために、特別に重要な権利である。
そして、自分で納得できるような生き方をするためにも、重要である。
だから、とくに大事にされなければならない。

さて、公務員は政治活動はだめだといえども、論文を書くことは許されている。
東大法学部が中心に編集した、学術プロジェクトには、
山ほど、外務官僚の論文が掲載されている(「融ける境、超える法」所収)。
それなのに、防衛省の幕僚長だけは論文を書いてはならないという掟はない。

そうすると、論文の内容によって規制することがどうか、という問題になる。
内容がどうだ、で規制するというのは、蟹工船で有名、検閲やら、内容規制といって、
特にしてはならないことである。
そこで、やむにやまれない政府目的を達成するために必要不可欠な程度でしか、
「こんな論文書いちゃだめ」
と言ってはいけない。
では、今回の場合どうなるか。

まず、空自の幕僚長が、「日本は侵略国家じゃなかった」と言うことは、政治活動か。
そんな政治活動はいまのところ、ほとんどない。
その点は、国会が与野党よってたかって、問題視しているのを見てもわかるように、
政治的にはほとんど一致した見解といえるレベルだからである。
それを、「侵略国家じゃなかった」と言って、政治問題化させようとするならば、政治活動にはあたるけれども、
それ以上のものではない。
そこで、政治活動といえない、とすると、
国民の空自幕僚長をはじめとする自衛隊・公務員に対する信頼、というやむにやまれない政府目的はあるとしても、
それだけを根拠に懲戒することは、やりすぎのきらいがある。

それとは反対に、分限処分なら、そこまで問題はない。
なぜなら、分限処分は、公務員の適格を問題とするものだからである。
思想を根拠に適格がない、というのは、たしかに言い過ぎかもしれないが、
空自幕僚長としてはどうか、ということは、それほど問題ではあるまい。

だから、今以上に彼を追及すること、
とくに、国会に参考人招致なんざして、いろいろと話をさせることは、
憲法違反の疑いがある。

(私がどうだと思うかは関係ないので言わない)

さてと。
この間、イラクから帰ってきた自衛隊の隊長さんが、
参院選で当選して、国会議員になった。
彼は、その後に出たテレビ番組で、
戦争の最前線で鉄砲を持って戦っている仲間(外国)がいるのに、
彼が撃たれようとしているのを見て、こちらも鉄砲を撃たないなんてできない。
だから、そんな法律なんか破ってもいい(自分が責任をとる)

というようなことを言っていた。
こんな人を当選させた日本人は愚かだ。
まず、そういう人がいるときに、鉄砲を撃つことは、
正当防衛(刑法36条)だから、日本では違法にならない。
それにも関らず、任侠心みたいなものを見せて、
こんな法律破っていい、なんていうことはおかしい。
悪法でも守らなければならない(ソクラテスの死因をご覧あれ)。
そして、国会議員になった人、
つまり、法律を作るのが仕事の人が、
そんな法律破っていいなんて言ってはいけない。
結局、そんなこと言う人こそ、自衛官としての「適格」がないわけで、
そんな人のいる国会が(そんな人だけではないけれども)、
たかが、「侵略国家でなかった」と言っただけのことで、
ここまで騒ぎ立てることが不思議でならない。

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2008年10月15日 (水)

野球って何だっけ

バイト先でコスプレすることになった。
コスプレってどうよ…

おもしろいニュースを見た。
こないだポスターを見つけた、と書いて、
発行元のモラルを疑った、労働保険の、
小林麻央さんのポスターが、

貼りだす3日ほど前に、
ネットオークションに出品されていたという。

発行元さんは、各業者の手に渡っているから、
ウチの職員とは断言できないと言うが、

二重の侮辱だ、そんなもの。
どんな顔してコメントをのべたのか見てみたい。

まず、
ポスターを貼ることは、ボランティアでない限り契約のはずだと思う。
つまり、広告料を支払って、貴重なスペースにポスターを貼らせてもらっているということだ。
そのポスターを貼らないで、ネットオークションに横流しした者がいるならば、
契約違反だから、下手人を捜し出してお金を取り返さないといけない。

ということはしないのね。

そして、そのような行動を検討することなく、
断言できない、というのは、
契約相手全員に対する侮辱ではないか。
とくに、横流しせずにポスターを貼った人たちは、
少なくとも麻央ちゃんのポスターを持っていることだけは誰にもわかるのに、
持っているポスターを全部貼ったかはわからないのだから、
一律に疑いがかかる。

こんな疑いをひきおこすようなことは口が裂けても言っちゃいけない。

これが1つめ。
そして2つめは麻央ちゃんに対して。

顔と名前と好感度を使わせてもらっているのだから、
最低限できる管理はしっかりしないといけない。
ポスターが人気のあまり盗難されて、それがオークションに出されたのならば、
窃盗罪だけれど、麻央ちゃんにとっては名誉でもあろうに。
もしも、発行元の職員が横流ししたのならば、
彼女の人気と知名度を使って私服を肥やしたり裏金を作ったりしたかっただけだ、
ということになる。
そんなクズみたいなことのために、
一生懸命仕事をしているだけのニュースキャスターを利用するのは、
最低にして最悪。
そして1人そういう人間がいれば、職員全員が、その程度だ、ということになる。
まさに、あの発行元らしいやり口だと言わなければならない。

一生懸命な人(麻央ちゃん・真面目な契約相手・真面目な職員)への冒涜を、
一言で成し遂げる発行元さんの考えの浅さにはあきれて声もでない。

最低のモラルとして、
「非常に遺憾。誰がこのようなことをしたのかわからないが、事実関係を調査して厳正に対処するとともに、嫌な想いをされたであろう小林麻央さんには、心からお詫びをしたい」
とくらい言え。

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2008年10月13日 (月)

動けないとこうも困る

緒形拳さんの偉大さに、あらためて感心する日々。
私は、尼子経久が好きだった。

三浦和義元社長の件。
法的には、そこまで問題はないはず・・・だと思う。
たとえば、ある犯罪者が外国で犯罪をしたとき、
外国の裁判所で懲役なんかをうけても、
日本の裁判所では、またイチから裁判をしてよいことになっている・・・はず。
どういうことか、というと、「裁判権」が違うから。
ただし、外国で服役していたときは、日本での懲役刑を決める際には、
考慮することにはなっている。
さて、ロスの事件だから、ご当地の法律により、
殺人罪については一事不再理(1回刑事訴訟をしたら、同じ事件では起訴されない)
ということになる。
ので、ロスでは、共謀罪のほうだけが、問題とされることになった。

共謀罪は、日本では認められていない罪である。
この間、テロ対策で導入が進められたが、結局かなわなかった。
なぜなら、相談するだけで殺人罪、というのは、どう考えてもおかしいから。
さて、共謀罪の、処罰対象行為(実行行為)は、相談することで、
その結果、相談にあがっていた人が殺されれば、殺人共謀の罪ということになる。
一方、殺人罪の実行行為は、人を殺すことだから、
ちょっとズレがあることになる。

今回逮捕するということは、相談をした事実が証明できる、と
検察が判断したからなのかなんなのか。
陪審員制度だから、流れで有罪になる可能性もあるので、恐ろしい。
しかも、禁錮25年以上。日本では(有期)懲役の最高は20年(30年)なので、相当に重たい。

ともあれ、警察が留置場に収容しているのに、自殺してしまうなど、
警察の失態に他ならない。
なぜに政府は何も言わなかったのでしょう。

世界経済が大変な目にあっている。
そんなときに、テロ支援国家指定解除を、アメリカは行った。
そこまで功績を作りたかったのか。
去年の今頃の段階では、経済がうまくいっていたので、
こんな暴挙には出なかったはずだと思うが、
経済が破綻しかけているアメリカが、大統領選を前に、
どこかで功績を残そうとすると、他に手はなかったのかもしれない。
だが、考えが浅すぎる気がする。
結局、自分のことしか考えていない。(それが国際政治だといえばそれまでだが)
日本には「らち」は忘れない、と口先で言っておけば、済むとでも思っているのだろうか。
しかし、人権侵害国家を支援するような国は、人権侵害国家に他ならないわけで、
そう考えると、日本がアメリカに経済支援をする正当性がなくなることになりはしないか。
とくに、これで北朝鮮は世界銀行から国家予算の倍以上の融資を受けられるようになる。
日本は、世界銀行に融資をしている。
なぜ、一面で表立った支援を全面禁止して制裁しておいて、
世界銀行を通して、ちゃんと支援するのか。
北朝鮮は「日本からもらっていない」と言う大義名分ができるだけだ、
これが、らち問題の解決になにか、影響がないとでも、
本気で考えているなら、総理はマヌケだ。
選挙して史上初の総理大臣落選のあと、マンキツにでもこもっていればよかろう。

なおかつ今、危機に陥っているアメリカの金融関係に対して、
日本が何か支援を行うにも、大きな壁ができたことになる。
ところが、アメリカの経済を立て直さないと、しょうもない火の粉が飛んできかねないわけで、
実際、生命保険会社が1つ崩壊してしまった。
思うに、10年以上前、アメリカが双子の赤字に苦しんでいたときに、
アジア経済を牛耳ってしまわなかったことが、日本の最大の失敗だったと。
この度、似たようなチャンスがめぐってきたのだから、今動かないと、
中国やインドが今より儲けだしてからでは、もう二度とチャンスはない気もする。
そう、結局、この際、名実ともにアメリカを乗り越えなければならない。
富国強兵・殖産興業だ。強兵は憲法上むりなので、それ以外はしっかりやらないと。
再度、脱欧入亜の時代だ。

そのためには、既成事実の上でしかモノを考えることのできない人たちは、
いったん下野する必要がある。
先の下野の際は、官僚も来ず訪問者もこない「屈辱」(森談)を味わったというが、
プライドの高い人の「屈辱」には2パターンあって、
べジータさんのように、努力で屈辱を克服する人。
いつぞやの教皇や皇帝のように、憤死する人。
日本の政権を担当する以上、前者でないなら、用はない。

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2008年10月 4日 (土)

ポスター日和

三宮の駅で、
長澤まさみのポスターを見つけたのは去年の話だ。

よくあるJR西日本のではなく、
国民年金。

そしてきのうは、出勤中に小林麻央をみつけた。
労働保険らしい。

だいたい、あの省は、
目のつけどころが嫌らしい。
だいたい、好感度の高い長澤や麻央ちゃんを使って、
イメージをあげようとするのはいい。
ただそれは、イメージの良し悪しが、
プラスマイナス0ならの話だ。
まあ、マイナスでも、
計測可能ならよいだろう。

しかし、
あの省の薄汚さは白昼公然の秘密。
内部機関をひとつ解体したくらいではすまされないはずだ。

あの省にも友達はいるから
あまり悪いことはいいたくないが、
そんな広告代どこにある。

1円でも多く年金のほうに費やすべきだろう。

イメージの悪さがブラックホールに匹敵する者が、
イメージ戦略で
イメージの好い人をひっぱってきたって、
結局、長澤や麻央ちゃんのイメージを引きずり下ろすだけだ。

これ以上無垢の民を汚すのはやめなければならない。

何らのアクションもおこさず、
というか起こしつつ無駄ばっかりしておきつつ、
長澤や麻央ちゃんを広告に使って
イメージアップだけ図ろうというのは

何も変える気がないことの証左であろう。

つまりこうだ。
あのポスターには3つの弊害がある。

ひとつ。何ら組織の体質を改善しないで業績だけあげようとしても、
たとえ効果が出たところで、
彼らの小遣い稼ぎにしか見えない。

ふたつ。好感度の高い哀れなキャラクターたちは、
好感度がものすごく下がる危機にさらされる。
たとえばタバコを吸った未成年アイドルなら、
広告業界から姿を消す。
それなのに、タバコを吸った未成年アイドルはなぜ広告をだせるのか。
CMキャラクターに選ばれた可哀想な人たちの事務所だって、断るべきだ。

みっつ。小林麻央だ。
彼女はニュースキャスターではないか。
不祥事ばっかりでニュースに頻繁に出る国家機関の
イメージキャラクターなんかしたら、
今度不祥事があったとき、
ニュース読めるのか?
彼女は心理的に読みづらくとも読むだろうが、
彼らの同類だと見られてしまうのは、あまりにもかわいそう。

彼らは他人を利用するだけ利用したいだけなんだから、
あとは捨てること以外
何も考えていないだろう。

しかし、あまりにもばかげている。
人を小馬鹿にしすぎだ。

愛すべき私の親友たちは、すべてをわかってくれるものと信じています。

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2008年8月10日 (日)

目は開けどものを見ず、耳は開けどおとを聞かず

オリンピック開会。
市民の顔を見ると、成功すればいいな、と思う。

開会式に先んじて、「テロ」がおきた。
中谷教授の「テロリズムに対する諸対応と国際法」
という論文に、ちと古いが、EU理事会が2002年6月13日に採択した
「テロリズムと戦う枠組決定」が紹介されている。
EUと中国は違うこと、憲法観もテロに対する感覚も違うこと、
テロの定義はテロありきで定まること、(この行為はテロだ、という結論ありきでの枠組み決定である)
から、差し引いて考えなければならないが、
規制対象となるテロ行為は、
文脈・目的・行為の種類、の
3つから定義付けられようとされている。
ただ、繰り返すが、この定義は一般的なものではないし、
「規制対象となる」テロ行為のことだから、規制対象から外れるテロ行為の存在も理論的にないとはいえない。

文脈とは、国家または国際組織に重大な損害を与える国際的な行為であること、
と考えられている。

我が国で大問題である国家的らち行為は、
文脈のこの要件を満たしている。
いや、のこり2つ、住民に重大な脅威を与える目的・人道に対する罪の、
要件も満たしていると
(だが、テロだとは述べていない)
中谷教授は結ぶ。

さて、それはよいとして、
新彊ウイグル自治区は中国政府の言うように中国国内だから、
こないだの事件は文脈要件を満たしていない。
独立を掲げる以上、行為者とのコンセンサスもあるといえる。
するとむしろ、当時のEUの目で見ると、
正当化されるレジスタンスに近いことになる。
逆に、アメリカの州以上に中央と独立した自治政府だったとすれば、
文脈要件を満たすか、独立運動として正当化されるか、ということになる。
さて、どれが正しいのか。
どれがどうだとは言えない。

ただ、新しい定義づくりが必要になる事例だとは言えそうである。


ところで、日本の刑法だとどうなるだろう。
「国内の」事件とすると、内乱罪になりうる。
しかし、憲法上明文にない権利としての、
抵抗権・革命権の行使と見られるかもしれない。

結論をどうするかは十人十色。
無駄に時間があるとバカな話に夢中になる。

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