真意が伝わるものかどうか。
このことに関しては、決して、私は誰の意見にもくみさない。
彼が正しいとも思わないし、政府見解がすべてだとも思わない。
ある総理大臣経験者の言葉を知った。
奇跡的な出会いだった。
彼は、今のどんな総理大臣よりも明晰な頭脳と表現力を持っていた。
ただひとつ、惜しむらくは、彼が民主主義とは相容れない時代に生まれたことか。
ニッポンをニホンと呼び出した頃のこと。
「わたくしは日本の戦いは正義に立脚していたと固く信じている。
アメリカはこうした見解に同意しないと思うが、しかし、アメリカの戦いが正義の戦いであったか、それとも日本の戦いが正義の戦いであったか、
という最後の判定を下すには、時の経過と、公正な第三者を待たねばならない、と信じている」
彼は、そういった。
私は、それだけの時が未だ経過していないと思う。
もしくは、時の経過により、冷静なる第三者として、あらゆるしがらみから解き放たれて判断を下すのは、
私たちの世代には無理だと信じる。
彼は、「こんどの戦争に責任があった」。しかし、だからといって彼は「戦犯であるということにはならないと信ずる」
「自国が正しいと信じている国家の戦争指導をおこなうことと、戦犯であることとは別問題である」
「しかしこれまた、戦勝国の決定することである」
彼が残した言葉はこうだ。
「真の軍人は、戦場では、最後まで戦うものである」
「平和が宣せられたら戦争は終わる。
一生懸命フェアに戦った相手をお互いに尊敬するのである。」
なんともスポーツマンらしいノーサイドの精神ではないか。
相手を尊敬することと、
自分を卑下することは、
まったく異なる。
自分に自尊心あればこそ、
敬意によって相手が浮き立つのである。
それによってはじめて対等になるのではないか?
彼は、開戦の責任はだれにあるのか、と問われて、
こういった。
「諸君は勝利者であり、したがっていまは諸君がその責任者を名指すことができる。
しかしこれから五百年、千年をへたとき、歴史家は違った判定をくだすかもしれない」
今の日本人に欠けているもの…
それは自分を大切に思うこと、自尊心。
あるいは、自分を大切に思いすぎること、過剰愛。
どちらかの人しかいないから、一億総アイデンティティー・クライシスに陥っている。
自分を卑下して相手に盲従するか、
自分を愛しすぎて周りすべてに壁を作るか。
日本人の最も得意だった、
中庸…どっち付かずは、そこにはない。
彼は、割り切ることを知っていた。
自我があった。
しかし、自分を過剰に評価することはなかった。
そして、他者を正当に評価していた。
戦争をどう評価しようが、それはどうでもいいこと…
人によって、違うことでしょう。
戦争を繰り返してはいけない、
それだけは受け継がなければならないが、
その理由は、
人の愛を、夢を、家族を、かけがえのないものを、
みんな奪ってしまうから。
だから戦争は悪だと思うならそれでもいいし、
やはり正だという人がいても、とがめるに値しない。
ただ、今度の戦争を評価するときに、
日本人や日本の政府が、
率先して
当時の日本の意見を無視してどうするのか。
彼を戦犯だと決めたのは戦勝国であって、
転んでいたら戦犯だった人なのである。
たとえば、
真珠湾攻撃が人道に対する罪ならば、
原爆投下が人道に対する罪にならないわけがない。
ポツダム宣言で、その点についての
「責任追及」はしないことになったが、
決して「責任そのもの」が消えたわけではない。
日本人が戦犯戦犯といっては、彼を忌み嫌うようなことをするのは、
戦勝国の意見にしか耳を傾けないから。
自分を見失ったままだから。
結局、自分がないからそんなことしかできないのだ。
自分があれは、彼を戦犯といって忌み嫌う人ばかりでなく、肯定的に評価する人も生まれうるし、
両方いることをだれもが受け入れるはずだ。
空自の前幕僚長の意見は、
ひとつの意見であって、
正しくもないし間違ってもいない。
雇用者の国の意見と違うから、分限処分になったのはよいとして、
シビリアンコントロールという言葉を意味もわからず振り回して、
懲戒すべきだ、論文は検閲すべきだ、などという、
今の総理―そして彼は最も許しがたい内容の失言が多い―や、森永さんをはじめとするコメンテーターには、
辟易する。
彼の名前をあげなかったのは、
彼の名前を知った瞬間、
読者は、やれ右翼だの、やれ戦犯擁護をする気かだの、
彼の言葉に耳を傾けようとしないに決まっているからだ。
わたしはとくに左右に興味はない…
あえていえば、(民主主義以前の)開国派だ。
戦争の責任者を養護する気なんか毛頭ない。
そして彼は、べつに貝になりたいと言った床屋のおやじではない。
彼の名前は、だれもが知っている…
東絛英機
それが、
当時(終戦直後)、アメリカのメディアに、
ジンギスカン以来の最も輝かしい成功をおさめたアジアの軍司令官
と言わしめた、
明晰な頭脳と表現力を持っていた総理大臣の名前である。
最近のコメント