2008年6月23日 (月)

等しいものは等しく、異なるものは別に!

憲法14条。

出ましたねー、違憲判決。
国籍法についての違憲判決。

だいたいまとめると、
問題となった法律は、国籍法である。

2条によれば、生まれたときに、父か母が日本人ならば、赤ちゃんは生まれるやいなや、日本人となる。
3条によると、生まれたときに、そうでない子は、
父親が認知して、さらに母親と結婚したとき(婚姻準正という)に限って日本人になる。
そうすると、おなじ、法律上の親子関係が父と子の間にあっても、
母親と結婚していなければ、日本国籍がもらえない、ということになる。

で、このことが不合理な差別だ、ということになった。

つまり、日本国籍がない、というのは、大きな不利益である。
しかも、それがもらえるかどうか、は、父と母の結婚、という、
子どもとしてはどうすることもできないことにかかっているから、
手段としても、どうか、というものである。

たしかに、両親が法律上の結婚しているから、日本国民である父との間で、
密接な関係ができたのだ、と評価できる、と、考え、
そういう子に日本国籍を与える、という立法目的自身は否定できない。

しかし、子どもの不利益、現代の社会生活との乖離、を考えると、
これを合理的関連性があるともいえない。

そこで、こういう国籍法の定めは、憲法10条による、立法府の裁量を大幅に超えている、
として、違憲判決が下された。

等しいものを等しく、異なるものを別に、という観点からは、
おなじように、父から認知された子なのに、
それが生まれる前(2条により日本国民)だったか、生まれた後だったかで、
日本国籍が得られる要件がここまで違うのは、
等しいものを別に扱っている、としかいえないので、
もちろん違憲であると思われる。
その意味で、この判決は支持されるべきである。

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2007年3月25日 (日)

高田さんと向井さん

代理母事件最高裁判決。

昨日今日と、遊びつくしたので、明日から勉強。

さて、代理母事件。
おおまかに言えば、代理母出産した子の母親は、誰なんだろう、となる事件です。
ネバダ州では、代理母契約を認めた判決があるので、法の適用に関する通則42条で、なんとかならんか、ということが問題になりました。
アメリカで判決があるからといって、日本で何がどうなるものでもありません。
そこで、こういう判決は、「公の秩序」に反するんだ、と裁判所は言ったような感じですが、
公の秩序、というのは、現在の日本国憲法を中心とする法秩序のことですから、それには反しているので、
一般によく言われる、エロ本が「公序良俗」に反する、というのとは、言葉が似ていてもまったく違います。
ところで、わが国の民法には、誰が母親なのか、を定めた規定がないので、
感情論としては、なんとかして向井さんの子ということにしてあげたいのですが、
現行法上は、どうにもなりません。
ところで、こういう法の不備があったときには、
なんとかして、過去の判例を参考にして解決を導くのがひとつの手段です。
昔、子供の母親は、その子を自分で産んだ人、という趣旨の判決が出たので、
それに従ったのが今回の最高裁でしょう。
じゃあどうする、というときに考えられるものに、判例変更というのがあります。
裁判所の判断は、その事例その事例が、適切に解決されるようにするものだから、
事例が違うなら、その昔の判例に引っ張られることはありません。
それに、裁判所の判断は、その時代その時代のニーズに合わせた結論を導くものであってもよいはずなので、
いっそのこと、前の判例は変更します、と言っちゃえばよいことになります。
でも、そんなことを繰り返していては、予測可能性がなくなります。
すぐに判断がふらふらするような機関の意見なんて信じられませんよね。
ましてやそれが裁判所だったりしたら、大変です。
さらに、今回のように、法律がないところで、母親の定義を変えるようなことをしてしまうと、
裁判所が立法をしてしまうことになるから、許されません。
(裁判所や行政は立法をしてはいけません。)
そこで、今回の判決が言うように、立法による早期の解決が待たれます。

たしかにこれは大きな問題なんです。

772条問題(離婚後300日以内に生まれた子の父親は、離婚前の夫と推定するという規定の問題)といい、この代理母問題といい、
民法の家族法(第4編 親族)の規定は、古すぎて妥当性を失っているものがたくさんあるんです。
だいたい、家父長権制度などが撤廃されたほかは、100年間くらい抜本的な改正されていないので、
1世紀前には予測もできなかった問題が噴出しています。
そして、772条問題のような、その典型となるものも、改正案が何度も国会に出されていますが、
夫婦別姓を認める法案とくっついて出されているから、
イデオロギーの問題が絡んで、可決されていません。
じゃあ分割して1個ずつ改正すればいいじゃないか、とも思えるのですが、
今の法案提出者は、とてもじゃないがそこまで思い及んでいないようです。
まぁ、立法者を選ぶのは、私たちですから、代理母出産を認めてやろう、と思う人は、
そう主張している候補者に清き一票を入れればいいんですよね。
それに反対している人は落選させちまえばいいわけです。
だいたい投票に行く人が固定すると、当選する人も変わりませんから、
いつまでも不満たらたらなまんまですねぇ。
ということで、この9月の参院選、こぞって我先に投票しに行きましょう。
投票率がたとえば、倍(30%→60%)になれば、すごいときには、
今まで1位で当選してた人に、新しい候補者が勝つこともできますから。

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2006年12月15日 (金)

老いたる道標(しるし)と風の分岐

もうなんか、タイトルとか重なっていいや、という気になった。

最近立て続けに、下級審でおもしろい判決が出ている。
新聞さんの評釈を踏まえて、見てみようと思った。

① ウィニー事件京都地裁判決

刑事事件だから、まあいいや、と思ったのか、
新聞の割りに著作権に無頓着な判決要旨の書き方で、辟易した。
おそらくウィニーは、著作権のうち公衆送信権・複製権・譲渡権・頒布権をすべて侵害するものだから、
著作権法違反でも良いのかもしれない。
が、仮にも幇助犯として罰金刑を科すからには、正犯(主犯のほう)が何罪か、何をしたか、を
はっきりとさせておかないとならない。
でなければ、正犯なき共犯という、刑法を知るものの大半が反対する結果になる。
だから当然、正犯にも最低限同じ刑を科さなければならない。
どうやってそんなことをするのか。
無理ならば、正犯として処罰できるような理論構成を考えてもらいたいものだ、と思う。
しかし、本件では、この点については多くの人は無関心である。が。
無関心だからといって、この点について一切触れていない判決要旨は判決要旨でない。
・・・とはいえ、京都地裁の判決文をまだ読んでいないから、偉そうなことは言えない。

② 姉妹殺害事件

死刑判決。妥当だと思う。しかし、いくら公判が公開のものだからといって、
その犯行内容をいちいち載せるようなことには、
人間として疑問を感じる。
ただでさえ、自殺がブームになるような国で、こんな心無い報道をするマスコミの行為は、
ゴシップ以下ではないか?

③ 三菱ふそう事件

虚偽は認定しているが、法には反していない、との判断。
簡裁の判断だし、控訴審で覆る可能性はかなり高い。
しかし、虚偽の報告をしたものの、大臣が直接に求めた報告でないからという理由には、
社会的事実(裁判所に顕著な事実)の認識に問題があるのではないだろうか?
大臣がすることになっているすべての事務を、本当に大臣がしたりしたら、
大臣は、一日24時間や48時間では足りないのではないだろうか。

事案および判決文をまったく見ずに適当に書いてみた。
おおまかな事実と、判決結論を記憶することが目的である。

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2006年12月 1日 (金)

大丈夫かなぁ、と思う今日この頃

大阪高裁で、住基ネットに違憲判決。

憲法13条の保護するプライバシーを不当に侵害する(利用の拡大によって)が、理由。

プライバシー権を憲法13条で認めた点はいい。
とくに今回は、プライバシー権をもって作為を要求しうる「自己情報コントロール権」について触れられている。

今回の違憲判断に対する、A総理の発言が大問題だ。

「政府は当然、憲法に反していないという認識で立法をしている」

と述べた。

まず、前半はあまりにも当然のことを述べているにすぎず、答弁としての意味をなさない。
憲法に反しているけれど、という認識で立法なんかされては、国民としてたまらない。
しかし、それでも81条が違憲立法審査権を定めているのは、
立法内容が違憲であることがありうるので、裁判所からのコントロールを及ぼすためである。
このア総理の発言は、現行憲法81条の立法趣旨をまったく理解していない発言であると言われても仕方がない失言である。

次に、後半は、さらに問題外である。
政府は立法など行えない。
立法府は「国会」で、国会が「唯一」の立法機関であることは、憲法41条が明言している。
この条文は、国会が単独で、あるいは中心となって立法を行うことを定めている。
このうち、単独で、というのは、国会が他機関の影響を受けずに立法を行うことを定めるものである。
よって、内閣の法律案の提出権だけが問題になる。
これは、憲法72条前段には議案も含まれると考えられること、法律案の提出権は国会議員である閣僚にもあること、国会は内閣の提出した法案を自由に修正・否決できること、議院内閣制は国会と内閣の協力を要請するものであること、の4つから、
内閣にも提出権はある。

しかし、議決にはさすがに参加できない。
こんなことは、三権分立の原則から、当然のことである。
これと、前半の裁判所の違憲審査権無視の発言を考えると、
ア総理は、もしかして、三権分立を知らないのではないかが問題になる。
さらに、国会が国権の最高機関であることも無視しているのではないかと思われる。

何かを嫌うときには、相手を知る必要がある。
さらに、相手について色眼鏡なしで観察して、それでも嫌いならば仕方ない。
たとえば、関東出身で関東育ちで、未だUSJとワイン城くらいにしか行ったこともないような人が、
関西は怖い、嫌い、ということは、孝明天皇が、合衆国のペリー提督を、四本足の悪魔だと信じて疑わなかったことと変わらない。
前近代的で、とても文明的な日本人のするようなことであるとは思えない。
憲法が、「押し付け」だから、と言って、自分でさらに国民に憲法を「押し付け」ようとする行為も、それに近いものがある。
とくに、現行憲法への無理解の甚だしいような人は、もっとそうだ。
(注:何度も言うようだが、国民投票を逐条投票にするならば、憲法改正自体は違憲ではないと思うので、そこらで改憲反対運動をしている人と一緒にしないでもらいたい)
巨人は自分中心で金にばっかりもの言わせよるから嫌や。とか、横浜はなんやおしゃれででかいだけやから、神戸のほうがずっとええわ、といって関東を敬遠する関西・神戸出身の人も、似たようなもんだけど、「なんか怖い」よりはましだよなぁ。

きょうのひとこと。
敵を知り、己を知らねば戦はできぬ。
誰かが昔言っていた言葉だ。

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2006年10月 3日 (火)

誰から聞いたかって?ひ・み・つ☆

最高裁判所で、今日、すごい判例が出た。
藤田宙靖裁判官だし、なんかそらそうかも、と思われるが、

NHKの取材源秘匿を保護。(民事訴訟法197条)

そして、具体的な基準(とはいえ、比較衡量の基準ではあるが)を示した。

全文(最高裁判所HP参照)を読むと、
西山記者事件も、TBS・日テレ両事件もちゃんと説明のつくような、
なんだか中庸的な感じもする、
いい判断だったと思う。

報道の自由を21条の保障の下にあると明言したことなど、
あまり目新しいこともないが、
まぁとても面白い判例だったのではないか。

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2006年10月 1日 (日)

220万円の出所・・・

28年前の事件で、26年たって自首した男に対して行われた裁判。

刑事の時効は15年・民事の時効は20年なので、普通は訴えられない。

が。

だ。

これが、220万円の賠償が認められた、という稀有な結果となった。(地裁判断)

さてはて、これの何が問題か、というと。

時効なんていらないだろう、という声がマスコミから上がってしまったのだ。
いらないわけがない。
時効の存在理由は?というと、
証拠がなくなってしまうこと、記憶が薄れること、冤罪が増えること、国民の社会的関心や処罰感情が薄れること、
だ、といわれる。

しかし、今回の事件で、最後の1個は、ないことがわかった。
社会的関心・処罰感情は、マスコミの報道次第だし、
なにせ、被害者や関係者は、納得しない。

ということで、絶対的な証拠があるかぎり、刑罰を与えたほうがよいようにも思われる。

が、さすがに、そういう事後法みたいなのは、
国際問題ならともかく、
国内問題については、絶対にだめだ。

ところで、民事の時効(不法行為に対する損害賠償)は、というと、行使できることがわかってから、3年間、または、事件のときから20年間ということに決まっている。

中でも、20年のほうは、絶対的なものとされているが、
今回の裁判所の判断は、3年のほうの時効計算の開始時を、
うんとずらした感じだった。

ま、それはそれとして、それでいいんじゃないだろうか。

というか、加害者の態度を見てると、
民事でも刑事でも無罪放免というのは、やりすぎの感がある。

一方、交通事故で、3億円の賠償命令。
生涯収入が、2億の時代に近づこうとしているが、
だいたい3億も払って、かつ生活するなんて無理だから、
破産するしかないことになる。

そうすれば、結局、賠償金が支払われないことになる。

これは困った問題だ。

かといって、全損害額を賠償させなければ被害者のほうがかわいそうだし。

何かいい案はないものか。

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2006年3月21日 (火)

明日はN’sあおい。

最終回。楽しみだ。

数週間前、
「あしたN’sあおいのビデオを撮って下さい、
というメールを10人以上に送らないと見逃すかもしれません、
ってメールが来たらと思うと、
怖くて怖くて、今夜は眠れそうにない」

というある意味不幸なメールを送ろうとしたところ、書いたまま忘れていて火曜日になり、
では来週、とカレンダーを見たら次の週は14日(火)だったから切なくて
送れず仕舞いで、
さらに明日はさいとも次第でシャレになくなりそうだったから、
本当に怖くてそんなメール送れない。

はぁ。
このネタ、使えず仕舞いだった。

メールといえば。

「図書館の前に入館カード落ちてたよ」
「今さ、この電車乗ってる?」

と数連勝中のエイプリルフールが今もうすぐ目の前に。
これはがんばらないと。

打倒○○○(ピーッ)ぐ!

東京高裁で、こないだの取材源の秘匿についての決定。
覆ったか。おおむね最高裁の従来の判例を踏襲。
妥当なところである。
この点についてマスコミは連名で地裁の判決に対し声明を発表。
声明を行うことは自由だしどうでもいいけど、世論捜査をできる唯一の権力であるからこそ、
残りの三権に対する恣意的な声明は慎んで欲しい。
最高裁まで争ってからでも遅くはないだろうに。

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2005年12月 5日 (月)

判例

リンク: @nifty:NEWS@nifty:キャッチボール訴訟の和解が成立…仙台高裁(読売新聞).

キャッチボールでそれた球が10歳児の胸に当たって、心臓震盪で死亡。
なんとも無残な事件だが、刑事的な事件とはなりがたい。
そもそも、刑事上の犯罪となるには、故意が必要である(刑法38条1項前段)。ただし、過失犯処罰の規定がある場合にのみ、過失犯で処罰されることになる。

この事件での、ボールの当たり方、というのが大問題となるのはそこで、
①「あの子にぶつけてやろ」という意図があれば、そのボールをぶつける行為は、暴行罪を構成する事実(構成要件該当事実)となり、
その結果、相手が傷を負い(傷害罪)、死んでしまった以上、傷害過失致死罪となる。
②その際、「殺してやろ」と思ってぶつけたならば、「殺そう」と思って「殺した」以上、その間の経緯は誤差にすぎず(因果関係の錯誤)、殺人罪となる。
③そして、ただ、キャッチボールの球がそれただけならば、単に「過失致死」の罪となる。刑法で言えば、210条がそれである。
このとき、何をもって過失とするか、というのには説がわかれる。
それらの説は、「予見していて」「結果を回避しなかった」という、予見可能性と結果回避可能性が必要であることについてはほぼ異論は無いが、
予見を重視する「新過失論」と結果回避を重視する「旧過失論」が主な対立の点となっていて、
とくに前者をおしすすめたのが危惧感さえあれば過失が認定できるとする「新・新過失論」である。この考え方は、四大公害訴訟のときなどに、工場責任者に過失を認定するべく、裁判所が取り入れたことで、一時ブームとなったが、現代では少数説である。

しかし、本件の場合、子どもに責任能力がないことを見逃しても、公園内でキャッチボールをしているときに球がそれて人が死ぬなどということは、予見できるものではなく、
また、結果回避のためには、キャッチボールをしないことが必要となるが、そのようなことは都市の過密化の勢い激しい現代社会において、求めえぬことではないだろうか。
公園内でのボール遊びを禁止するならば、市職員などを派遣して徹底するべきであり、そういったことができない以上、公園のような遊び場で、キャッチボールをすることをやめさせるのでは、国民の健康上も良くない。
したがって、本件は③のとき、国の刑罰権行使を認める過失致死罪にはあたらない。

一方、民法上の不法行為(709条)にはあたる。なぜならば、子どものl行為によって被害者には権利侵害があったからである。
そこで見る過失は、刑法上の過失とは少々異なるものだが、一般的な過失であると考えてよい。
しかし、先にも述べたとおり、子どものキャッチボールだったのだから、責任能力はなく、子どもに賠償請求することはできない(たとえできたとしても、子どもにそのような資力は無い)。
そこで、714条により、親が責任監督義務を全うしていない限り、不法行為責任を負うことになる。

本件はこのような事例であったが、結局和解が成立したことで、それ以上の論議を呼ばなかった。
しかしそのため、何級を用いてのキャッチボールまで禁止したり、公園内での遊び方を規制したりする自治体が増えることだろう。その点、子どもの遊び場問題(※1)がより深刻な局面を迎えることになった重要な事件である。

※1・・・外で遊ぶことが規制され、さらに変質事件続発のため、外にでることさえ禁止された結果、子どもは何をして遊べばよいのか。
家でゲームをしたり漫画を読んだりすることが、その変質事件犯人を育成する結果となるなどと言われ、また「オタク文化」といったブームを巻き起こしている源ともなっている。
過保護さだけの功罪と決め付けることはできないのではないか。

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2005年10月26日 (水)

判例速報

昨日。
東京地裁の別法廷で、元ハンセン氏病被隔離者への補償について、
台湾在住者は認める、韓国在住者は認めない、という判決が出来た。

台湾は中国は清朝から割譲されてから1945年まで、韓国は日韓併合条約から1945年まで、それぞれ日本領だった。

地裁の判断によると、台湾は旧らい病患者隔離法(1931)が施行されていたことが補償承認の理由だった一方、韓国は朝鮮総督府(当時)が行ったことで、日本政府とは関係ない、というような理由だったかと思われる。

しかし、その原因となった法が1931年であるならば、台湾・韓国ともに日本領だったのだから、補償は認めるのが相当である。

次に、韓国の理由であるが、朝鮮総督は、計11人のうち、内閣総理大臣が7回、宇垣一成が2回。宇垣は総理に推挙されたが就任できなかっただけなので、ほぼ80パーセント以上総理経験者である。
たしかに、日本政府は独走した軍部・関東軍を「日本政府の意思とは別」というスタンスを取りつづけてきたが、
らい予防法は、他でもない国会の作った法律なので、
その補償は国会が行うべきであることを考えると、
補償は韓国の隔離所元在住者にも認めてよいのではないだろうか。

おそらく、最低限韓国の隔離所元入居者は控訴しそうなので、高裁・あるいは最高裁の判断が待たれる。

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