高瀬舟
エホバの証人輸血拒否患者死亡事件、
という名前でいいのだろうか。
宗教法人エホバの証人は、なんでも格技と輸血を絶対禁止しているらしい。
神戸高専で剣道受講拒否学生退学事件があったから、
妙に場所が近くて、一連の事件は気になる。
最初は、東京大学医科学研究所附属病院で、
最後の手段で輸血する、というインフォームをしなかったことから、
輸血した医師は、患者の自己決定権を奪ったとして、患者に対し損害賠償。
今回、医師側としては、まさにこれしかないという方法での手術だった。
患者も家族も輸血拒否をしていたから、結果が結果とはいえ、一見問題はない。
しかし、疑問はある。
日本には、刑法がある。
人の死期を早める行為は、殺人罪である。
目の前で瀕死の人がいて救けられるのに何もしないのは、保護責任者遺棄致死罪となる。
また、損害賠償請求とエホバの証人からの糾弾がこわくて、輸血しないで患者が死ぬのは、失われた利益と得られた利益の間に均衡がないから、
過剰避難となって、少なくとも業務上過失致死罪になりうる。
そこで、この点から医師を救うには、正当業務行為だ、と考えるしかない。
じゃあ、安楽死とのかねあいが問題になる。
東海大安楽死事件の、医師には殺人罪がくだされた。横浜地裁は安楽死4要件として、患者の耐え難い苦痛・死期・代替手段不存在・患者の意思をあげた。
しかし刑の執行云々ではない。殺人罪になったこと自体が問題なのだ。
安楽死も手術中の輸血拒否も客観的に同じだから、宗教上の理由で輸血を拒否したときも、4要件が使えてもよさそうだ。
すると、問題は、苦痛と死期だ。
ところで、安楽死は「尊厳」ある生のための、自己決定に含まれる。
もちろん、憲法上の自己決定権とはいえ、無制限ではなく
よりよい生を生きる権利だから、死ぬ自由はない。
それに、とうぜん内在的な制約があって、
他人に加害行為を及ぼすことは認められないから、
他人を刑法犯に陥れるようなことは許されないはずとなる。
しかし、よりよい生というのも人それぞれだから、死ぬまでどう生きるかはその人次第だ。
延命措置をつけないで生きたいのも、輸血されずに生きたいのも。
その結果、死んだとしても。
そういう意味で、安楽死は、自己決定権に含まれる。
ジレンマが見えてきた。
あちらをたてればこちらがへこみ、こちらをたてればあちらがへこむ。
まさに、一連の憲法理論の転機となりうる事件である。
しかし、そこを何もかえずに、お医者さんを無罪にしたい、と思って考えた。
エホバの証人の信者の自己決定権、信教の自由は最大限に保護されなければならない。
しかし、医師も守りたい。
そこで、先の4要件に戻る。
そもそも手術中に耐えがたい苦痛があるかは麻酔があるから判断できない。
死期も、手術をしたから急速に近づいたのだ。
医師の招いたことなのに安楽死の要件はみたされているのか?
しかし、手術を選んだのまではよりよく生きようとする患者の自己決定権、とこうなっている。
すると、苦痛と死期を呼んだのは、患者自身となる。
それならば、医師の処置は正当業務行為で無罪になる。
検察も捜査の必要がなく、一件落着となった。
ということで、今回の事件は、非常にうまくことが進んだといえる。
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