2008年9月24日 (水)

UP

「増税なき増収財源としての特別会計剰余金」
醍醐聰(UP今年度9月号)

麻生内閣発足。
あぁ、そう。

さて、増税なき増収財源についての明確な数字をもって表した論文を読んだ。
9月号だから、だいたい10日ごろ発行なので、あたかもタイムリー。
福田(康)内閣が退散する直前に衆目に晒されたのである。

明確な数字で見ると、たしかに、おかしい。
そこまで言って委員会なんかで三宅さんetcが話している話よりも、
大分説得力がある。
なるほど、あまっているんだ、お金。
年間30兆近く、国債の満期前返済に充てられるくらいに、
お金、あまっているんだ、この国。
そりゃあ、わけわかんないところで、わけわかんない人々に、
突然お金をばらまきだせるわけだ。
民主が年間18兆円云々と言っていて、
それに裏づけがないだろう、実現可能性がないだろう、増税だ、という人々の意見の、
それこそ根拠のなさに、笑えそうな大金だった。
ものすごい金額に、イマイチぴんとこない。
是非ご一読をオススメします。

これをあてにするのか、道州制構想は、変だと思う。
なぜに、「道州」なのか、名前からして意味不明だ。
この国に、「道」と別に「州」をおく意味はまったくない。
たとえば、日本には、60州あまりの、旧国がある。
兵庫県なら、播磨・摂津・丹波・但馬・淡路の5州である。
東京都なら、武蔵のほか、ちょこちょこと。
さて、これらの旧国名こそが、「州」(くに)なので、新しく作る「州」(しゅう)の名前には、
歴史的正当性がないんじゃないか。少なくとも私には思いつかない。

日本史の授業で出てきた、国司。
その下には、郡司(尾張国郡司百姓等解文などで有名)がいて、その下に県(あがた)があった。
県主(あがたぬし)といえば、高校入試やら大学入試では、頻出ワードだ。
この制度が、郡県制。これ、周の国の制度であった。
これに対して、封建制。
封建制は、秦朝の制度で、これは、日本でも武家の時代に採用されていた。
その武家の時代が維新でおわったので、郡県制を導入しようとしたのだが、
「郡」はまだ残っていたので、「県(けん)」というものが「藩」に代わっておかれた。
そういうわけなので、旧国名で使っている州はもうおかしい。

これに対して、平安時代には、畿内5カ国から全国へ向けて、大きな「道」(どう)にわけられていた。
西へ、山陽道・山陰道。東へ、東海道・北陸道。
南へ(紀伊から四国)南海道。遠く西には西海道(九州)。
蝦夷の国が日本の国だと思ったとき、政府が「北海道」と名づけたのは、こういう由来による。
(北海「道」だから、支庁をたくさんおけたんじゃないのか?と思うのだが、根拠はない)
・・・別に、州なんてあたらしく作らなくても、この道(どう)をそのまま使えばいいじゃん。
都道府県を解体するなら、旧国での分類は正当性を持つ。
都道府県で400年(徳川時代から今まで)近く培われた地理的一体性を維持するなら、
せめて、「近畿地方」「中部地方」という名前でわければよろしい。

さて、「道でいいじゃん」と考えると、文句を言う地域が1つある。
首都圏である。
「首都圏」「関東」と名乗ろうとすると、「道」の感覚では分けられない。
そこで、関八州をまとめようとすると、やはり、「関東地方」というくくりがよいことになる。
そこで、東京だけを特別区にすると(ワシントンDCみたいに)、現「首都圏」の地域が、
なんか、首都から追い出された気分になって、田舎扱いされているようでへこむ。
しかしまぁ、関八州をまとめて「首都圏」と呼べば全部解決するようにも思える。
そこのところは、うまくやってもらうしかあるまい。

さて、大阪府知事が、WTCに府庁を移転すると言い出した。
「関西州」構想のためだが、この「州」が嫌なことは繰り返さない。
次は、「関西」のほうだ。
近畿、といえば、京都大阪兵庫奈良滋賀和歌山までは、異論がないが、
あと、三重県の処遇が問題になる。
三重県は、東海三県のひとつだが、中部地方ではない。
と、昔小学校で教わった。
つまり、近畿は「2府5県」であると。
ところが、近畿「2府4県」とか言う人もいるので、実のところよくわからない。
それはともかく。関西。
なんで「関が原より西」という名前をここまで引っ張らないといけないのか。
関東が首都圏を名乗るなら、関西は近畿(畿内に近いエリア)だ。
しかも、この関西という名前。
「関西地方の天気予報」というと、福井や徳島、ことによると岡山鳥取くらいまで入っている。
区域がよくわからない。
また、WTCは、関西の中心だ、ということから、府知事はその場所を選んだそうだ。
確かに、関空・神戸空港・または伊丹空港までの距離は近く、港もあり、京阪神すべてに近い。
しかし、それは、京阪神の中心なだけではないだろうか。
奈良和歌山滋賀が蚊帳の外に見える。
さらに、言葉を返せば、どの交通手段からも遠い。
しかも、関西州の中心に府庁を置くということは、関西州ができあがった場合の拠点としたいのだと思うが、
関西全域をWTCで管理するとなると、少し不安がある。
(議会の場所とか、地方機関の場所とか)
それに、WTCとまったく同じ意味、あるいはそれより好条件の場所に、
神戸市役所がある。
神戸空港までポートライナー1本。そこから関空まではシャトル船で20分くらい。
新幹線新神戸駅まで徒歩20分。新幹線新大阪駅までは、JRで三ノ宮から22分(?)。
がんばれば、伊丹空港までもなんとかいける。
直近に神戸港があって、海のルートも完璧。
つまり、すべての交通手段を、約2~30分で利用できる。
最高じゃないすか。
ただし、近畿全域から見ると、西にかたよりすぎている。

ま、結局言いたいのは、大阪府知事が主導するのはいいが、
大阪府が中心となる特段の意味はないのではないか、ということだ。

もー何がなんだかわかんなくなってきたな。
バナナ:マイナス1.5ののち、プラス0.5
どうやら、お腹のなかにたまっていたものが出て行っただけのよう。
あと、ヒゲそった。

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2008年9月 9日 (火)

五輪書(宮本武蔵)

オリンピックのルールブック。
・・・ではない。

別に、五輪真弓の日記でもない。

宮本武蔵が、二刀一流について述べた本。(岩波文庫刊)

ところどころ関西弁っぽい言葉遣いや、
「むかつく」などの言葉が入っていて、
江戸時代の風俗が垣間見える。
非常に面白い。

ところでこの本。
剣術について述べているもの。
二刀流が主だが、それは一刀流でもたいして変わりはない。
剣道部時代に読んどきゃよかった。

刀をふりおろすときは、敵を切り殺すつもりでふれ、と。
竹刀で小手先の技に偏るなんてもってのほか。
ただの商売剣術だ、というその持論。
ひとつひとつまっとうである。

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2008年9月 6日 (土)

西洋紀聞(新井白石)

西洋紀聞(新井白石・村岡典嗣校訂・岩波文庫1936年)

だっけ・・・1936年だっけ・・・まぁ、いいや。

イタリア人宣教師、シドッチが屋久島に密航して薩摩の島津家に捕らえられた。
で、長崎経由で江戸へ連れてこられ、そこで、
新井白石から4度にわたって尋問をうける。
そのうち、彼らは、互いの知を認め合う・・・

という事件が約300年前にあったが、
その結果、新井白石が記したその記録。
おおきくわけて、3つ。
過程・世界の地理・キリスト教の歴史にわかれる。

キリスト教への評価は、本当に面白い。
米欧回覧実記もそうだが、
江戸時代風の現実的で合理的なものの考え方でみると、
どうも、宗教にはきなくさい部分がある。

新井白石が考えるには、
デウス(天主)は、人間に罪だ罪だといい、
ノアの箱舟なんかで、大量粛清するくらいなのに、
なぜ人間を教化しないんだろう、と述べる。

キリスト教徒には、わけのわからない疑問だと思われるが、
そこが信仰だ、という結論は導いていない。

そして、興味深いのが、
エルサレムとインドの近さ、
神の前にみな平等、という考え方が、どうも儒教や仏教に似ている。
その他の洗礼をはじめとする宗教行事が、これまたどうも仏教と似ている。
さらに、シドッチは、キリスト教以前は、仏教ではないが似たような宗教があった
(おそらく、オリンポス12神やローマ神話だが、白石はそれを知らない)
と言う。
あ。
インドで発生した仏教が、ヨーロッパへ伝わって、ちょっと変わっただけなんだ。
と結ぶ。

すごく興味深い。

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2008年8月30日 (土)

東アジアの王権と思想(渡辺浩・東京大学出版会)

はぁ。

渡辺先生のゼミのときに買い求めて読んだ本。
もう一度紐解いてみた。
いろいろ考えたことを書いていたのに、
掲載しようとしたらぜんぶ・・・
なえたのでもう書きません。

本郷で毎週3時間あまり、知的な時間を過ごしていた日々を思い出しました。

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2008年8月28日 (木)

人間失格(太宰治)

ブックレビューというカテゴリを、
そういえば昔作っていたのをふと思い出した。

人間失格は、これまでも、
読みかけてはおざなりになっていた小説のひとつ。

というのも、読めば読むほど、
なぜ太宰が芥川の後継者と讃えられるのか、
よくわからなくなるからである。

たしかに、似たような設定なのだけれど、
河童や歯車のような、焦燥感をそこに感じない。

福田恒存が、黄泉の国へ行って、
芥川・太宰と対談する、という
変な対談がある。
なぜか芥川龍之介全集に収められているこの話は、
芥川の、「私は誰も道連れにしなかったよ」
というようなコメントに、
太宰が苦笑して終わる、というものだった。

太宰に心中が多いからか、色恋沙汰が多いからか、
芥川がヴェロナールを煽ったのが「漠然とした不安感」(遺書より)のせいだったからか、
マスタードとキムチのように、
2人の暗さの味がまったく違うように思えていたのだ。

福田が、芥川をして、
「一緒にするな」
と言わしめた理由が、ぼんやりとわかるような気がしていた。
太宰は人間関係、芥川は芸術と生活の葛藤、
こんなジャンルわけが正しいのかわからないが、
そういう違いもないではあるまい。

さて、人間失格。
人前でお道化続けた少年が、
見透かされるのを拒み、でも誰かにわかってもらいたくてさらに孤独の闇にはまりこんでいく様は、
現代社会に通ずるものがある。

そして、その孤独に何の処方箋も与えないばかりか、
ダメですね、と切ってすてる「私」に、
銀座の元ママが言った言葉。
お酒を飲んでいてもいなくても、彼は天使のような人、
という、その「天使」に、
太宰のすべてがこめられている気がした。
壊れていく自分は、世間的にはもう死んでいる。
しかし、それは自分が純粋すぎただけ、
人の目を気にしすぎたゆえに、
周りの人を見なくなってしまったがそれに気付いていない、
でも、どこかでそれをわかっている自分がいる。

「自分」というのはある意味で表現である。
その表現を芸術と呼ぶならば、それは芥川の求めたものと一致する。
そういう意味では、太宰は芥川の後継者に違いない。

ようやっとすっきりした。
物語は、最後まで読むものですね。

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2007年1月 3日 (水)

お正月!映画を見に行こう!

DEATH NOTE the Last Name
(金子修介監督・藤原達也主演)

風邪も治まってきたので、映画を見に行ってきた。

デスノート後編、完全にあきらめていたのだが、
まだやっていたので、嬉々として行ってみた。

Lがいい。
松山ケンイチさんが、そっくりだった。
あぁ、Lって、こういう声だったんだぁ、という感じ。
ライトも違和感無かったし、ミサもかわいかったし、言うことなしだった。
が、結末が・・・
内容は、マンガがストレートならば、映画はドロップのような。
ライトがマンガのラストよりかなりカッコよかったのが、ちょっと残念な気もするけど、
あれはあれでいいんじゃないかなぁ、というかんじ。

マンガよりも映画のほうが、終わった後、
デスノート欲しいなぁ。
しみじみ感じられた。

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2006年12月27日 (水)

ブックのレビューをするとき。

「手形法・小切手法」〔新版〕(鈴木竹雄著・前田庸補訂)・有斐閣(昭和31年・平成4年)

二段階創造説について。
鈴木博士が考えられた「存在・所在」二分の考え方と、
前田教授が考えていられる「手形債務負担行為」と「手形権利移転行為」の二分の考え方が、
鈴木先生の改説によって、絶妙にミックスされているので、
なんというか、旧説のほうが好きだ。
が、それでは、現在の判例が説明できない。こまったこまった。

「ONE PIECE」(尾田栄一郎)44巻・集英社(平成18年)

コンビニで読んでも泣けた本。
ニコ・ロビンが戻ってきてから。クライマックスにかけて涙無しではよめません。
涙あり、絶叫あり、恐怖あり、笑いありの1冊。是非。
いつか買おう。

かなり読みたい本がたまっている。
家にあるもの、お店にあるもの、さまざまだが、
特に今は「憲法の理性」(長谷部恭男著・東京大学出版会2006)とか、
「溶ける法、超える法」(渡辺浩/江頭憲冶郎編集・東京大学出版会2005)とか、
丸山先生の文明論之概略を読む、とか、いろいろ。
しかーし。
その時間が、取れないのであります。
こいつぁこまった。

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2006年10月26日 (木)

プロフェッサーBは偉大です。

とは、恩師の一人の受け売りである。

『Interactive 憲法』(長谷部恭男著 有斐閣2006)

先月刊行の対話集だ。法学教室連載時から好きだったが、まとめて読むのもなかなかオツだ。

長谷部憲法学が、じわーっと、伝わってくる。

切り札としての人権や、自由主義と立憲主義なんかが、先生の議論のおもしろいところだが、
そういうのナシで、たとえば井上達夫先生への再批判などのディープな世界から、ジェレミーベンサムや、ケルゼンなんかのこれまたディープな話まで書かれていて、実におもしろかった。
笑った。

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2006年10月18日 (水)

《迷える羊》 ストレイ・シープ

ブックレビュー
『草枕』夏目漱石著

何と言うか、懐かしい。

何も場所を知らなくとも、面白い話は、場所を知悉することによって、絵画となる。映画となる。テレビドラマとなる。

ラブストーリーをラブストーリーだと思って読めるようになったのは、いつからだろう。

アンニュイな美禰子を美しいと思えるようになったのは、いつからだろう。

三四郎を読んで、そこから考えて、3つの世界が交ざりあうことへの恐怖感と、決して混ざらないことへの安堵感と不安感を一度に感じたのは、三四郎池の畔で握り飯を食らうずっと前の話である。

美禰子さんと三四郎が歩いた場所で、同じように美禰子さんと出会い、追分の寮の前を俯いて通った頃、私には明らかに3つの世界があった。

故郷と友情と愛情。
(私は、漱石とは違って、故郷と「愛」と「社会」であると思う。
「愛」は、恋愛・友愛の双方を含む。与次郎と美禰子はここである。
「社会」は、自分の生業とする世界。広田先生はここにいる。
しかし、以下では三四郎の意見に従うことにする。)

私には故郷がある。と同時に広田先生を知っている。与次郎を知っている。野々宮兄妹を知っている。そして、いつでも美禰子は存在した。

そして彼らが、複雑に絡み合いながら、それでもきっと分かれていることを知っていた。

三四郎程中に入り込める話はない。

共感できるだけに、読後の今の私は三四郎くらいの頃の自分の心持ちに戻っている。

勉強するには向いているが、如何せん、要領が悪くて困る。

ダーターファブラ、一体何処へ行くのだろう。

ストレイ・シープが泣くことを望むものは誰もいない。

迷える羊を見つけて微笑む者に、私は成り度がつて居る。
その癖自分が迷える羊であることを、すつかり忘れて居たやうだ。
ふつと、其の事を思い出したやうな気がする。

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2006年10月12日 (木)

肩こりが激しすぎて・・・

笑える。

(笑)(カッコワライ)だ。

ここ数年のことだが、姿勢が相当に悪いらしい。
肩こりが過ぎて、泣きそうになっている。

ブックレビュー

(数年ぶりに読んでみよう!のコーナー)
坊っちゃん(夏目漱石)

いや、面白い。
何回目だかわからないが、面白い。
独白というか、坊っちゃんの考えていることを書いてあるのがほとんどなのも懐かしい。
よく考えれば、漱石の作品は、そういうのが多い。
これを追求すれば、ユリシーズになるのかもしれない、などと思った。

にしても、出版が明治38年(1906年)と、まさしく100年前。
100年前も、今も、いる人間は変わらない。
私のような単純なのは、未だに狸と赤シャツと野だだらけの社会を知っている。
未だに、うらなりくんがうらなっている社会を知っている。
まったく変わってないから、余計に清々しいのかもしれない。

坊っちゃんは江戸っ子らしい江戸っ子だが、
これが、ハマっ子だったり、こべっこだったりしても、面白いかもしれない。
いや、こべっこなんか、温和なくせに、妙にいらちだから、
随分と面白そうだと思った。

企業法(山下真弘)
テコギ。読めば読むほど、なんかこんな感じだった、と思い出す。
いい手ごたえなのか、何ら意味のない感傷なのか。
しっかりやんないとなぁ。

さて、こないだ、面白そうな本も買った。
読み出したが、殊の外、面白い。
もうすぐ読み終えると、また書こう。
戯曲といえば、戯曲だ。
論文といえば、論文だ。
判然しないところが、また面白い。

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2006年10月 4日 (水)

AGAIN AGAIN AGAIN

恩師の紹介を受けて壇に上がった大江先生の頭の上には、
私たちとおそろいの、でもおそらくは色違いの、四角い帽子が乗っかっていた。

ぜんたい、国立大学の卒業式に日の丸がなくて、都立の義務教育の卒業式には置いてあるこの時代、
誰が間違っているかなんて考えるほうが馬鹿げている。

四角い帽子の先生は、私たちに向かってこうおっしゃった。

知識人になりたければ、3年間は同じ人の本を読みなさいと言われました、と。

ははん成程、と得心したものの、徂徠にするか、諭吉にするか、さんざ迷った挙句、
法律書にしよう、と決意したまま、早1年半の時を数えた。

1年半の時を数えたは良いが、決して多くは読めぬ。
読めぬも当然、それが数少ない仕事なのだから、知識人も何もあったもんじゃない。

それでは、と本棚を眺めていて、気がついた。
草枕を読みたかったらしい。

ブックレビュー「草枕」(夏目漱石)

画工は非人情の旅に出た。
浮世を離れた、というほどのことだろう。
もちろんモチーフは、漱石先生である。
漱石先生が、どうやら熊本に居た頃の物語りらしい。
らしいが、そんな場所はどうでも構わない。
兎に角、非人情の旅に出た。
出た結果、人情家の目からは気持ち悪い程の非人情に出会った。
那美さんは、非人情。
画を描かない画工は、那美さんを描こうとした。
しかしその仕草は絵になるのに、何か足りない。
足りないものが何かわかっているが、それを見つけた画工は、
ついに、那美さん以上の非人情の境地に達する。

夏目漱石の草枕は、何度も読んできた話で、
これ以上何度も読んだ物語りはない。
ふと思い出すだけでも、一度読んで、暫く後に国語の先生と話してからまた読んで、
本郷で見つけた明治出版の本でまた読んで、
さらに今回また読んで。
読み方も人情的な読み方から、非人情的な読み方まで色々と試してみた。
試したというのではなく、結果的にそうなったといった方が正しかろう。

しかし、何年か置きに読む本は、読み返して深みを味わうことなどできない。
おそらく、なんども同じ言葉がわからなくて引いたとは思う。
だがこれでも、読む度歳を取って行く私は、
少しずつ、それでも話がわかってきた錯覚に陥る。
のんべんだらりと勉強を続けた甲斐があったのかも知れぬ。

佐々木先生は、政治思想は毎日新しいスパイスを与えてくれるとおっしゃったが、
なかなかどうして、物語りも毎度、いろいろな発見がある。

今なら、美禰子さんに恋ができそうである。
今度は、どの本を読もう。

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2006年9月19日 (火)

筋肉痛を乗り越え、少年は大人になるのだ。

ほんっと痛い。

歩く「遅さ」が、10割り増しだ。

さてさて。

「株式会社法・有限会社法」(第4版/江頭憲治郎著/有斐閣)

新会社法の勉強をする前に、とりあえず、読んでおこうと思った。
800ページ超。
鬼か。

ざらっと見直したが、
私の知っている13年商法とは、かなり違う・・・
大丈夫かおれ??

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2006年8月29日 (火)

長州藩邸と蛤御門

きのう、私用で、京の都に上ってきた。

気付かなかった。
あんなとこに長州藩邸があったとは。

桂小五郎像を見て、どっかで見たことのある人だな、と思って、
隣にある名前を見て感動。
桂小五郎といえば、志士の中でも屈指の美男子。
木戸孝允に名前を変えてからは、風間杜夫みたいな感じだが、
若いうちも、なかなか捨てがたい。

(風間杜夫、と書いてしまったので、若いうち「は」美男子とは書けなくなった)

幕末のヒーローといえば、イバハチ。
幕臣伊庭八郎も、なかなか。
おでこがちょっと広いかな?って、なんの話だ。
しかし、戊辰の役で亡くなったのが26歳。
いわば、19歳と84ヶ月以降96ヶ月までだから、
いまの私とほとんど変わらず。

なさけないなぁ、自分。

桂小五郎といえば、木戸孝允日記を昔読んだ。
漢字が多かったので、意外に軽く挫折した。

日記だから、必要箇所だけを読めたようなもので、
いや、本当に漢字が多いので、一度ご覧ください。

当時の作品で面白かったのは、
なんといっても、
浪士文久報国記事(杉村義衛・旧名永倉新八著)。
名前がころころ変わるから、誰の話題かが恐ろしくわかりにくい。
たとえば、大久保が、大久保大和が・・・というコメント。
これは、近藤勇のことなのだが、その他にもいっぱい。
なかなか慣れなかった。

で、なんの話だよ。
蛤御門かんけーねーよ。
何がやりてーんだよ。

もう、さっぱりだ。

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2006年8月26日 (土)

ブックレビュー明石海峡

パチンコ屋っぽくキメてみた。
・・・いやむしろ、場末の旅館かホテルみたいになったな。

では、ブックレビューと、シネマミニッツ。

会社法入門(神田秀樹・岩波新書2006)

最近の話題を盛り込んだ本。
会社法改正から、ライブドア事件まで、大変興味深い。
にしても、神田先生らしき一冊。
本郷通りの神田ベーカリー(注:そんなパン屋はありません。)と思しき
パン屋さんが登場。
10人で100万円ずつ出資の恐るべきパン屋で、純利益200万。

私の勉強方法(我妻榮)

我妻先生の手記。
高校時代の勉強方法を思い出した。
大学に入ってから、まともに勉強を初めてしたのが、フラ後の小テスト。
ちゃんと勉強してなかったなぁ。
しかし、しけプリの由来が見えたかのような、法学部でシケプリが連綿と引き継がれている訳がわかったような気もした。
岸信介元総理との思い出話やら何やら。
しかし、鳩山先生が額縁に入れて飾ったという、答案の書き方を見てみたかった。
これは図書館で探すとしよう。
ゼミの先生とは、180度とも言わないまでも90度は違う語り口で、
でも、なんか、背筋の伸びるような一冊だった。

タッチ(主演:長澤まさみ)

いい。南ちゃん。
長澤まさみの魅力満開で、斎藤兄弟の上杉兄弟も、悔しいけれどハマっていた。
しかし、後半はともかく、前半、端折りすぎだった気がする。
達也の魅力が、まったく欠け欠けだった。
めざまし?で、和也のほうがいい、と長澤まさみが言ってたの、
あれじゃあ、そうなるわなぁ。
にしても、最後の新田君との勝負は、ちょっと燃えた。
さすがは達也。

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